心と体

終了しました~

4月から開始して10月1日で10回のクールを終了いたしました。

今回のエリザの会に参加してくださった皆様、
このブログのコメントやメールで参加してくださった皆様、
本当にありがとうございました。

これまで3回にわたりまして、

『不思議現象-子どもの心と教育』 菊池聡・木下幸司編著 北大路書房
 「八章 不思議現象と精神科臨床」(今泉寿明)

を読みながら、「三た論法」の危うさというものをお話ししてきました。

医療でも、看護でも、精神(心理)療法でも、
エビデンスに基づいているかを基本に考えるようになりました。

その効果に根拠はあるか?という事です。

根拠は「体験談」ではありません。
治療者の「効いた」という実感でもありません。

厳密には二重盲験という実験デザインで実証されたものをいいます。
人間の感覚、体験はたいへんあやふやで、
ある薬剤(治療法)を使っだけで、治療者側も患者も「効いた」ような気がしてしまいます。
そこで、そうした歪みが生じないよう、
①被験者を実験群と統制群に無作為にわけ
②治療者も患者もそれが実際の薬剤か偽薬(プラセボ)かわからないように
③それぞれ薬剤かプラセボを投与したうえでお薬の効果の評定をする
という方法をとります。

プラセボでも効果は現れることがしばしばです。
プラセボ以上に効果がない薬剤(治療法)に国民のお金を使うことはムダなので、
保険も使えないし、医療の現場で標準となることもないわけです。

二重盲験ほど厳密でなくても、
無作為に実験群と統制群の2グループに分けた上で、
偶然に効いた以上の効果があったかどうか、統計的に検証されていなければなりません。

ところが、私達がしばしば目にする健康情報は

「私はこれで治った(効いた)」
「こんなに反響があった」

というものばかりです。

新聞広告でも、インターネット上の情報でもこの
「体験談」を沢山かかげているものばかりです。

エビデンスのあるものはこんな宣伝の仕方をする必要はありません。
つまり、体験談や喜びの声や90%の人に効果が!なんていうものばかりの情報は
根拠がないから、こういう方法で宣伝するしかないのだ
、と思ってください。

ある物質(治療法)を摂ってみ(やってみ)→病気が治っ、改善し→その物質(治療法)が効い

というのは、最も出来の悪い研究デザインで「三た論法」といいます。

「この治療法で多くのヒトが治ったと言っている」と言われても
説得されないでください。

対照群がない研究は意味がありません。
その治療法が効かなかった人は、どんどん脱落していってしまうので、
統計の数字に入らないのです。

「効果があった」というデータだけを集めても、元々バイアス(歪み)が入ったグループですから、効果の実証にはなりません。

ちゃんと実験法・研究法を学んでこなかった人は、こうした安易な研究デザインで結論を出そうとしてしまいます。

精神(心理)療法は厳密な実験デザインをとることが難しく、
エビデンスはグレーゾーンにあります。(ちゃんとエビデンスを示した研究論文も出てきていますが)
ですので、臨床心理士がやっているから、とか、効果があると言われたからとかだけで
100%信用しないようにしてください。
「効果はあると思う、人によっては…」これくらいの謙虚さでやっていかないと。
絶対効く!と言われたら怪しいです。
科学的思考に100%はありません。

例えば、今話題のバナナによるダイエット法ですが、
「バナナを食べた」ということと「痩せた」という事実の間にはいまのところ「相関関係」しか言えないと思うのですが、
「因果関係」があるかのような、報道、受け取り方をしてしまうからおかしいのです。
「バナナを食べた」と「痩せた」という2つの事実の間にはいくつもの要因が関与しているはずなのですが、あたかも「バナナを食べた」から「痩せた」のだと1つの要因に絞られてしまっています。
前回も書きましたが、人間て「相関関係」のあやふやさに我慢できず「因果関係」に飛びついちゃうんですね。

しかし、しばしば大学名や肩書きが立派でも怪しい健康情報を発信していることがあり、
どうしたら確かめられるのだろう…とお悩みの方にこちらのサイト推薦します。

■健康情報の読み方
http://www.page.sannet.ne.jp/onai/main.html

お子さんのアトピーに悩んでいらっしゃるお母さんは多いと思います。
私の周辺にも沢山います。
そうすると善意なんだけど「ステロイドは怖いからやめた方がいい」と言ってくれる人がいるのですが、その人も情報をちゃんと確かめず、アトピービジネスの片棒を担いでしまっています。
ステロイド剤を使う治療=危険 は古い誤った情報です。
そんな情報を聞いたら、まずはこのブログを読んでください。

■燃える皮膚科医のスキンケア・カフェ2
〜みんなの納得するアトピー治療を目指して〜

http://skinnext.cocolog-nifty.com/blog/

また、お子さんに安全な食べ物をというのは、お母さん方にとって切実な願いだと思いますが、「食育」というキーワードで危険な代替医療の情報が報道されることがしばしばであるという話。

■食品安全blog 雑記-「食育」
http://d.hatena.ne.jp/uneyama/20080927

心やからだに関することは、
重大な健康被害に結びつくこともあるので、
善意であっても安易に自分の体験や感覚で人にすすめるのはやめた方が良いと思います。

私達にとって、身近な話題だと思いますので、
是非クリックして読んでみてください。

というわけで、参加してくださった皆様、本当にありがとうございました。
また、お会いできるのを楽しみにしていますので、いつでも声をかけてくださいね。

※次回からの内容について

とりあえず、自分でネタを考えてみましたcoldsweats01

●夏目漱石と正岡子規の病跡学
夏目漱石の文学は正岡子規との出会いから。
夏目漱石の俳句とは?
漱石と子規の絶妙な組合せ-分裂気質者と循環気質者

●介護以前の親の心理を理解しよう
  こころとからだの変化
 私たちは親を「過保護」にして独立した人格を認めていないのでは?
 老年期の親へのステレオタイプを見直そう
 親の心理にどのように対応すればいいのか、考えよう

●思考の不思議
 予知夢・マーフィーの法則・シンクロシニシティ・確率推論・認知と思考・サブリミナル効果・「見えちゃった」・迷信(因果関係と相関関係)

●記憶の不思議
  UFO・目撃証言・ストレスと予期・誘導尋問・デジャビュ・幼児期健忘

●影響されるこころ
 権威・同調・マスメディア・説得・カルトマインドコントロール・うわさ

●感情の不思議
 悪質商法・なぜだまされるのか・α波ミュージック・感情はどうしてある?

●こどもが不思議なものに惹かれるわけ
 ピアジェ・アニミズム・魔術的思考・ふり遊び・科学的世界とファンタジー・科学的思考の難しさ・「エルマーの冒険」

●こころと脳の不思議
 こころと脳・金縛り体験・脳波・感覚遮断実験・霊能力者・免疫・自然治癒・ガン・右脳

●ある「気功実験」からわかること-科学という思考様式
 実験計画・統制・誤差・奇跡的治癒・偽薬効果・検定・血液型性格学や占星術の統計データ・平均値の罠・神秘的思考への誘惑・超心理学・科学と非科学

●「うつ」をあらためて考える
  うつのサイン
 こころとからだの症状
 周りから見た「うつ」
 一時の落ち込みと「うつ病」との違い
 うつ病の周辺
 ライフイベント・性格
 うつ病の治療(薬物・入院・精神療法)
 回復までのステップ
 家族が心がけること かけてはいけない言葉/かけたい言葉
 死にたくなったら…
 仕事への復帰
 新型うつ病?
 クローズアップされる双極Ⅱ型性障害

●怒りとうまく付き合うためのトレーニング
  サイコエデュケーションプログラムの考え方
 小中高校での実践(DVD)
 劇「怒りの日」をみんなでやってみよう
 
●思春期のこころ
 Active Pearentingの立場から
 「思春期」とは/親として出来ること/子どもを理解する/勇気を育てる/問題解決のために/親子のコミュニケーション/家族の絆
 不登校/いじめ/非行/家庭内暴力/虐待/煙草、アルコール、薬物/性の問題/こころの病気、自殺/夫婦不和/親離れ、子離れ
 親と子の心のカルテ 小児科カウンセラーの立場から
 子どもと家族/こころのカルテ/子ども相談/子ども発達とイメージ/子どもの発達のみかた
 
●ケアを受ける人のこころを理解する
 こころの特性の理解(現実検討・人間関係・感情コントロール・自己愛・防衛機制・診断と理解の違い)
 ケアを受ける人たちの感情(不安・落胆・挫折感・羨望・被害感・怒り・悲しみ・羞恥心・安心感・感謝)
  理論(退行・喪失体験・ハンディキャップとスティグマ・病人の役割・疾病利得)
 転移-親との関係の再燃-
 介護が必要なひとたち(高齢者・認知症・身体障害・精神障害・子ども・ターミナルケア)
 特別な態度へのかかわり(ケアを拒む・過剰に依存する・体にこだわる)
 こころのサインと対処(うつ・躁的防衛・不安障害・睡眠障害・せん妄・妄想)

ちょっと自分で気になっていることをメモしてみました。
順番に意味はありません。
キーワードだけ乱暴に並べてあります。

ご自分の興味があることを、是非リクエストしてください。
上にあげてあるもの、ご自分で思いつかれたキーワード、
なんでも結構ですので、ご連絡下さい。

とりあえず、次回(10月15日)はここのところ、堅い話題が続いていたので、
「夏目漱石と正岡子規の病跡学」をお話ししてみようかと思っています。
これについても、ご意見お待ちしております。

お待ちしてますdown

■上野の森をかもします!

こころのところ、私が凝っている『もやしもん』の菌類が、とうとう上野の国立科学博物館に進出!

『もやしもん』は我々の世界が菌類の活躍の上に成り立っているという、
農学とかバイオとか、先端の科学をおもしろおかしく学べてしまう、
とってもキュートでお茶目なマンガです。
お味噌やお醤油や、ヨーグルトがどうしてできるかご存じですかぁ?
天然酵母って厳密に考えるとちょっと変だというもの、これ読むと分かってきます。
ちゃんと人間が管理しないとダメなはずなんですよ。

■国立科学博物館『菌類のふしぎ きのことカビと仲間たち』http://www.tbs.co.jp/kinruiten/contents/top/index-j.html

『もやしもん』1~6巻発売中
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%82%E3%82%84%E3%81%97%E3%82%82%E3%82%93%E2%80%95TALES-AGRICULTURE-1-%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0KC-106/dp/4063521060/ref=cm_lmf_tit_1_rdssss0

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ご報告

D1000060 D1000059

某県境で私の友人によって

保護されたわんこです。

炎天下、首輪にリードの切れ端をつけたまま、

車を怖れず道路のど真ん中を歩いていたそうです。

警察に届けたそうですが、どちら側の県から来たのかわからず、飼い主さんからの捜索依頼はないようです。

保健所に一旦収容され、「引き取りたい」という方が現れて、友人はとても安心したのですが、急に「キャンセル」されてしまったそうです。こういうのに「キャンセル」ってあるのでしょうか?困りましたannoy

保健所から「明日処分」といわれて、引き取ってきたのだそうですが、
友人のウチはペット禁止のマンション…我が家もそうなんですが。
今、某所で息を潜めて暮らしています。

日陰の身ですcrying

写真からわかるように、おそらくテリアのミックスと思われます。
女の子です。成犬ですが、「お年寄り」というほどではありません。
とても元気で、足腰はしっかりしています。
とても人なつっこいです。
誰が来ても吠えませんし、2本足で伸び上がって前足で「ちょうだいちょうだい」をしてくれます。
体長は60cmくらいです。
人間を全く警戒しないので、おそらく可愛がられていたのでは…と思うのですが、
飼い主さんが見つからない…縦割り行政の弊害ってやつでしょうか。
朝夕のお散歩でトイレはすますよう躾けられているようです。
家の中でトイレはしません。

このまま、日陰の身では可哀想なので、

どなたかこの子を引き取っても良いという方、いらっしゃらないでしょうか~up

とお願いしていたわけですが…

おかげさまで無事面倒をみてくださる方がみつかりました
新しいお家で元気でね~shine

さて、このワンコに逢いにいったときのお話しです。
同居人も同行したのですが、普段から同居人は無表情・ノーリアクションの人です。
自分でも感情表出を忘れているようなところがあります。
ワンコを見た途端、私は「わー、可愛いねぇ~heart02」と大喜び。1オクターブ声が高くなるし、赤ちゃん言葉になります。
人間の赤ちゃんも、お母さん達が声を高くして、赤ちゃん言葉で話しかけると、非常に反応が良いわけです。
コミュニケーションが成立するんですね。
ワンコもシッポをブンブン振って、私に飛びついて、ペロペロなめてくれて、反応を返してくれます。
お互いに「好意」のコミュニケーションが成立するようです。
ところが、同居人に対しては、足下で靴の匂いは一応フンフン嗅いでみるのですが、
あとは「物」と同じリアクション、無視です。
おや、同居人は人間と認識されないのか?
そこで、ワンコの前に座らせてみました。
「お?人間?」って感じで、一応シッポを振ってみるのですが、すぐにシッポはダラーンと垂れてしまい、目をそらそうとするのです。
多分、「感情のサイン」がわからないので、とっても怖いし、困ってしまうのだと思います。
「動物介在療法」の文献を読んだとき、なぜ「動物が有効なのか?」という問いに、
「私達人類はまだ平原や森林の近くで暮らしていた頃、自分たちの身を守るために
まわりの動物の反応を絶えず気にしていたのだろう(視覚は優れていても、聴覚とか嗅覚などは苦手)。
まわりの動物が緊張すれば、自分たちにとっても危険と判断しただろうし、リラックスしていれば、自分たちも安心できると判断できたはず。
つまり、私達に身近な動物がリラックスしている様子を見ていれば、それは私達にとってもリラックスできる状態になる。
それが『癒し』になるのだろう」
というようなことが書かれていました。
犬は、ずいぶん前から私達人類の近くで暮らしてきました。
きっと、人間の感情を読んだり、人間にメッセージを伝えやすいのでしょう(進化の結果とか、人為的な操作とか)。
私達を癒してくれるワンコも、私達からの肯定的なメッセージを受け取れないと
その役割を果たせないらしい…という考察でした。
と共に、同居人を前にしたときの私の日頃の混乱ぶりも納得。わっかんねー。

●前回のご報告

長期間にわたり、「スピリチュアル・ビームおよび自分探しを考える」というようなテーマでお話しして参りました。ぐだぐだぐだ…自分でも迷路に入ってしまったような気分ですが。

えー、いろいろ本だのインターネット情報だの論文だの読んで考えてみましたが。

「スピリチュアル」の周辺には「近代化」を否定する様々な領域が集まってくるようです。
異議申し立てすることは素晴らしいと思うのですが、どうも単純二極化に走りすぎているような気がするのです。

科学・工業・近代農業・化学物質・西洋?医療・政府など
いろいろな分野に「不信感」があるということで、
一大movementになるのでしょう。(陰謀論もセットで付いてくるところをみるとよく分かる)

しかし、その「不信感」の源はなんなのでしょうか?
もちろん、不信を持たざるを得ないことをしでかしてきた人類の歴史を認めるとしても
その根拠の多くは、何となく「感覚」なのではないのでしょうか?

よく「自分の感覚が大切ですね」という表現を見かけるのですが、
個々の感覚はかなり不確かで、他者と共有しにくいです。
これについては、錯覚とか、社会的知覚とか、帰属過程の歪みとか、認知的不協和とか、
認知心理学の分野でお話ししてきました。
(今の世界に不信感があるというところでつながることは出来るみたいですが)

私達は絶えず「不安感」を抱えている存在です。
私達のような非力な動物にとって、世界は危険が一杯だったはずです(大昔)。
理性の部分で「今は安心」と思っていても「大脳辺縁系」あたりではまだ納得できていないかもしれない。
かえって、「安心じゃないよ」と言ってくれる存在があると安心なのではないか?と思ってしまいます。
じゃないと「安全じゃない、こんなに怖い」というメッセージに、多くの人が過剰に煽られる理由がわからない。

「科学」を元に考えようと私は皆さんにお話ししていますが、
科学を「100%信じている」というよりは、多分、科学という方法論が、
今のところ一番修正が効くからほぼ安心だ思っているわけです。
「反証可能性」をもっているところ。手続きやデータやプロセスが開示されているところ。
「スピリチュアルなものを求めるのは、人間の生来の傾向である」
と言い切ってしまうと、反証できない。
仮説として、そうなの?本当?と思って、いろいろ確かめて見るところ(自分の感覚だけではなくて)が科学の面白さだと思います。
「そういうものを認めないのは魂の次元が低い」と言ってしまうより
「それは本当?」と疑える方が、私にとっては住みやすい世界だと感じられます。

「きっとあるのでしょう」とは私だって思います。
宗教という文化装置は有効に働いてきたのですから。
ある部分「思考停止」にしても、利他的行動を促すことができるのだと思います。

しかし、今「スピリチュアル」なもの周辺が、本当にそういう役割を果たしているのか、
ちょっと疑問です。
あくまで「自分」の個別性が問題だから。

「科学」というと「目に見えないものしか信じられない」「心が狭い」と非難されがちですが、
多くの人間が検証してきたんだから「ほぼ」大丈夫という感覚が根底にあって、
結局これは適応的な「想像力」が働いているのでは?と思います。

一方、きっと何か隠されていることがあるに違いない、100%安全じゃないと信じられないというのは、
適応的な「想像力」とはいえないような気がします。
「不安の証拠」を見つけ出して、安心できるかと思ったら、
結局不安の種が増えているだけという結果なのでは?

「化学物質は怖い」というフレーズ、
その「化学物質」で我々は出来ているわけだし、
「化学物質」を新しく創り出すことで安全な生活を手に入れてきたわけだし、
今現在、規制と利益とギリギリのところで努力している技術者たちを一方的に非難してしまい、
これまでの私達の文化や文明という歴史も全否定というところで、本来の「想像力」を使っていない気がするのですが…?
時々「科学物質」という言葉をスピリチュアル関係の人の書き込みでみかけるのですが、
どんな物質なんだろう???

人間て、「安心」な世界に住めるようになると、かえって「不安」を確かめてしまうのかもしれないなぁ~というのは、まだ私の個人的な考察です。
「不安」は消えないが、ほぼ大丈夫と思えるところまで、考えたり、確かめてみたりして、
わからなければ pending とし、acting out しないでいられるか、
とにかく「行動」してしまうか…。

「ほぼ大丈夫」と思うか、「100%じゃないから不安」と思うか、ここが別れ道なのでしょうか。

心理学では、発達を「社会化」と「個性化」という2つの過程で考えます。
「個性」はあらかじめ金の鉱脈のように私達の中に眠っているわけではなくて、
「社会化」の過程の中で、他者と比較しながら自分自身に認識されます。
突然自分の内部に「発見」できるものではないのでは?

他人と比較すること、みんなと同じになることがネガティブに語られてしまう雰囲気がありますが、
人間は「社会化」されるべき存在だという前提で「家庭」も「学校」も「社会」も機能を担っているわけですよね。
「社会化」の過程を経ない「個性」は多分あり得ないと思います。
社会の中での自分を意識しないところでいくら「自分探し」をしても、
答えは見つけられないし、自分の感覚だけで根拠をみつけるのは難しいという問題点に行き当たるような気がします。
「セミナー」やら「セラピー」やら「カウンセラー」やらを求めてさまよってしまうのではないでしょうか。

「自分は 特別な only one」と思うのは、
社会の中で「自分はそんなに特別な人間ではないけれど、それでも私なりの人生を生きている」
と思えた結果ならいいと思うのですが、
最初から自分の感覚だけを頼って「特別なもの」と思いこもうとするのは苦しいだけじゃないかと…。

「科学」にも「理性」にも限界はあるのですが、
人間相手の臨床の現場(心でも体でも)なんかでは、
よく「困っている人がいるんだから何かしなきゃ」という人が必ずいるわけですが、
「いや、ちょっと立ち止まってみようよ。「出来る」と「やって良い」は違うでしょ」
とつい思ってしまう天の邪鬼な私です。
特に人間の心なんて何が起こってるのかよく分からないんだから、慎重にした方が良いと思うのですが。
(そんなやる気のない人の世話になりたくないと言われるんだろうな)

次回からは、「健康情報」なんかでよく目にする
「食べた・飲んだ・やった」→「治った・良くなった」→「効いた」
という「3た論法」は、実のところ危ういということを、皆さんと一緒にお勉強したいと思います。

『不思議現象-子どもの心と教育』 菊池聡・木下幸司編著 北大路書房

の 「八章 不思議現象と精神科臨床」を読んでみようと思います。

それと、巷に溢れる「アトピービジネス」でも「3た論法」が使われていることを実際の例で見てみましょう。

●次回9月5日は、みんなでランチ~restaurant

11時にお店に集合です、楽しみにしていますね。

暑い毎日が続きますが、皆さん、無事に乗り切ってお会いしましょうね。

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7/16のご報告

日本中が一斉に梅雨明けしましたsun

しかし、湿気がすごいですね~mist台風の所為みたいですが。

●「宿題」プリントについて

前回は、あるブログでのやりとりを読んでいただいて、
皆さんに感想を言って戴くということをやってみました。

懐疑論者、科学に立脚点を求める人々が
「非科学的なことを科学的なことのように言って儲けようとしている人の主張がいかにおかしいか」
という事をそれぞれ調べて議論しあっている場に、スピリチュアルなことが大好きらしい人が現れてコメントを残すわけです。
おそらくインターネットでキーワード検索すれば、すぐに話題に参加できるんですよね。
参加しに来た人は、ごく「良心的」で「良いこと」を実践しようとしている人のようです。
取り上げられていた教育方法の「ESP」は必要じゃないと思っているけれど、
脳障害を持った5才の子どもが文字盤で「愛」や「平和」を大人に語るのは
無条件に「スゴイ、素晴らしい」と感じている。
「魂」とか「霊性」を磨いていけば、徳が高くなって健康になれたり、
災害でも生き残れたりする…だからポジティブに生きていけばいい。
「奇跡の水」がミネラルウォーターと同じお値段で手に入るのであれば、別に抵抗はないし、
その周辺でお味噌やお醤油を売っているのも「健康食品」なんだからOKだと思う。
こんな感じではないかなと思うのですが。

私の意図としては、
「スピリチュアル」なものと親和性の高い人々の周辺には、「健康」「自己啓発」「エコ」「ロハス」
「科学用語」「潜在する無限の可能性」「自然は素晴らしい」とかいろいろつながってくる傾向があるが、
(スピリチュアルをキーワードにどんなスポンサーがつくかは、下の欄をご覧頂ければ分かると思います)
「よいこと」でとにかくくくってしまうと、結構怖いことが入り込んできてしまい、
その境界線が本人達には非常にみえにくいということを
現在進行形で起こっている、実際の例として見ていただければ…という事だったのですが…。

皆さんの反応としては、
「インターネットでのやりとり」が本当の意味でコミュニケーションなのか?
という疑問の声が多かったように思います。

確かに、インターネットでのやりとりで、感情的、意図的に相手を罵倒するような一行のコメントで埋め尽くされるところがあるのも事実で、
これが本当の意味でコミュニケーションが成立しているのか…大いに疑問だと思います。

本来私達人間は「視覚」領域がコミュニケーションにおいて重要なわけです。
おサルの特徴として。

例えば■>>> 視覚と聴覚が矛盾すると視覚情報を使う。「マガーク効果」
http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/brain/brain/index.html
興味がある方は読んでみてください。

ですから、文字・文章だけのやりとりで欠落してしまう部分は沢山あります。
画面に現れる文字だけのコミュニケーションは空しいと思われることはよくわかります。
それに「議論」が一方的な結論のない言い合いと映ることもあるかな、と。
特に専門的用語が暗黙の前提として出てくるインターネット上のコミュニティが排他的に感じられることもあると思います。

しかし、一方で私達人間が文字を発明したことで「知識」として伝達し、
ゲノム情報以外のところで次世代に「文化」として引き継いでこられたわけです。

知識の蓄積があるから、今の私達があることも忘れちゃならんと思います。
「今の私の感覚・体験」が大切だという主張もありでしょうが、
これらの蓄積を利用しないのも勿体ないと思います。

「知識の蓄積」にはいろいろな方法があり、
書籍であったり、口伝であったり、儀式であったりするわけですが、
その過程では、いろいろな「議論」があったはずで
「議論」を経ていない知識はかえって怖いと思うのですよ。

ですから、「学問」や「科学」で論文になってないとだめだよ…とよく言われるのは、
それによって誰かが追実験できたり、反証できたり、矛盾を指摘できるからなんですね。

手続きや方法、仮説を立てた歴史的な背景とか、すべてオープンにしましょう
ということです。その上で、議論をして行こうという姿勢です。


別に世俗的な権威があるからという意味ではないんです。
(勿論それなりの雑誌に論文が掲載されるということは、査読がきちんとされているから
とりあえず信用できるという意味で「権威」であると言えるかもしれません)

そうした過程を経て、煩わしい手順や数値をなるべく使わないで書物にまとめるという形はあると思うのですが、いきなり書物になってる時は、読み手が批判的に読み解いていくしかないということです。

これまでは、論文書いて、議論して、一定の結論が出て、私達が手に出来る「書物」になって流通するというところまで、
すごく時間がかかりました。
現在起こっている現象について取り上げることがとても難しかったわけです。
ところが今、インターネットを使うと、いろいろな人がいろいろな場所にいても、
いろいろな情報を持ち込んで「議論」出来るんです。
肩書きがなくても、インターネット上では自分で思考すること、調べることができれば、
参加出来ます。

反対に「思考」することをしなければ、あるいは自分で「情報」を集めに行かなければ、
他者にその手間を委ねた分、リスクを負う覚悟が必要だということですね。

「議論」するということも、実のところ、日常生活でよく経験していることだと思います。
職場や地域で「会議」だの「ミーティング」だのあるのは、「議論」するためですね。
他者と対立点が明らかになってしまうと困った状況になるので、
それをなるべく避けたいという心情が働くのは分かるのですが、
「議論」と「非難」は異質のものと考えた上で議論に参加していくのは必要なのではないかと思います。
参加しないまでも、「議論」を辛抱強くウォッチングできることも、「市民」「消費者」として大事では…と私は思うのですが。
前にも「メディアリテラシー」でお話ししたように

「科学の話は分からないから読んでも仕方ない」→思考停止

はやめましょうよ~ということです。

「情報」を集めることに関しては、まずはコツコツ図書館行って、本を探して読んでみる
というところが基本です。
しかし、今はさきほどURLをあげたように、直接Web上で読めるものも多いのです。
政府の調査や研究の結果も、ほとんどインターネットで読むことが出来ます。
本も、いろいろな人のレビューを読めば、それを参考に選択できます。
インターネット上ではそれが簡単にできます。

しかし、一方で、インターネット上の情報は膨大で玉石混淆で、
読み手の「リテラシー」が求められます。
それらを取捨選択していくのは、実は手間がかかります。
この新しい技術をどううまく使いこなしていくかは、みんなが「議論」しなくてはいけないと思います。
「分からない」で終わらせないで。

私達が今困っているのは、
子どもの頃からこの混沌とした状況に触れることができる学生が、
「リテラシー」をちっとも身につけていないことです。

「レポート」を課題として与えると、簡単にインターネット上の情報をコピペして提出してくるのです。
もちろん、「引用した」なんて、一言も書いていません。
・人が考えたことを自分が考えたかのように書いちゃいけない
・引用したり、参考にしたものは、きちんと明示する
というルールはまるで彼らの中に無いようです。

調べることは良いことです。ただ、それは「調べた」事で「自分が考えたわけじゃない」
ときちんと書かなくちゃダメです。

ちょっと前までは、文体や知識の量から「これ、コピペしてきたでしょ」
と指摘できたんです。
ところがですね、今、それなりの文体や知識で書かれたレポートを
サイト上で「売っている」んですよ。
多分、学生が自分で書いたレポートを掲載して、同じ様なテーマでレポートを書かなくちゃいけない学生が、それをダウンロードして買うんですよね。
こうなると、もう「レポート」課題を出しても、何の教育効果も望めないことになります。

それが、小学生でもあるという話題。
■大学生から小学生まで 「ネットでコピペ病」蔓延
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080720-00000001-jct-soci

なかなか難しいですね、「道具」を使うのは。

最近、テレビを見ていて、CMがちょっと前までと違うな?と思われることはありませんか?
この商品の購買層がこの番組をみていると想定している、とすると
見ている自分はどう想定されているんだろう?とか、
「詳しくはweb上で検索」っていうのが多いということは、
実際購買層を説得するには、webでの情報の方が有効だということなのかなとか…。

テレビというのは「視覚」に訴えるものなので「情緒」的に作用しやすいですね。
良い面もあれば、困った面もある。
このあいだ、TBSの食糧問題を扱った番組見ていたんですが、
新しい事実を発掘した…というのは報道機関として評価するとして、
(本当に新しい事実なのかは、私の専門外なので、よく分からないです)
なんか、ものすごく恣意的な映像ばっかり切り取っている気がして
なんとなく納得できないところが…。
「わかりやすくて」「情緒に訴える」のは「この道はどこか来た道~♪」
を繰り返す可能性も持っているのでは???
「身土不二」とか「地産地消」とか、使い出した時代背景とか思想とか、
調べた上でこのコメンテーター達は使っているのだろうか?と思っちゃう。
「自然=良い」「日本=素晴らしい」「人工=悪」「アメリカ=陰謀」
の単純二分法はわかりやすいけれど「思考停止」にさせられちゃうなぁ。
食糧自給率を上げていくことはとても緊急の課題でしょうが、
それに「アメリカ陰謀論」は必要か???
(もちろん、私はアメリカが全面的に正しいことをした国だと言っているわけではありません)

読んでいただいた文章がらみで…

右脳と左脳の違いについて、科学的根拠が本当にあるか?について知りたい方
こちらを参考にしてみて下さい。
■脳のお勉強会 右脳と左脳の違い  
http://www.brain-studymeeting.com/dif/lr/

何らかのハンデを抱えている子どもを大人達が担ぎ出すと、あまり良い結果にならないという一例として…
■NHKスペシャル『奇跡の詩人』問題
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%87%E8%B7%A1%E3%81%AE%E8%A9%A9%E4%BA%BA

●ターミナル・ケアにおけるスピリチュアルカウンセリングの実践
前回、ターミナル(終末期医療)の場で、どのようなカウンセリングが行われているか
ということについて、ちゃんと時間をとれなかったので、
ここに書いていきます。

『なぜ私が死ななければならないのか』(精神的なあるいはスピリチュアルな痛み)
という問いに対し
○原因説 例えば科学ではこの状況で事故になる確率が何%あったかとか、
 日本人の死因の第1位は癌ですといった説明。
○人知不可知論 それは「神の思し召し」であって人間の知るところではないという説明。
○過去世来世論 「因果応報」であなたに何らかの責任があり、来世で子孫が一所懸命  供養すれば成仏できるという説明。
これらでは「私が死ななくてはならない必然性」を完璧に説明できない。
ということが、既成宗教や科学がターミナルケアで機能していない理由であるという考え方があります。

それでは、私達には何ができるのでしょうか?

◇「こんな状態で生きていても仕方ない」「何のために生きてきたのか」と嘆く患者さんに
「あなたが今できることはないですか?」と声をかけてみます。

例えば、貯金や生命保険はどうなっているか調べたか?
形見分けをしておきたい人はいないか?
自分の葬儀について希望は伝えてあるか?
お礼や謝罪をしておきたい人はいないか?
お墓はどうしたいか?
「ああしろ、これがいい」という押しつけはダメです。
患者さんが自分で手を付けたいと思ったものをやってもらうのがいい。

「これをやっておきたい」と思うと、急に忙しくなって、生き生きしてくるのだということです。

死期への準備、末期の多忙ともいうべきもの。
「死」へ触れるのがタブーのように思われますが、これらを真剣に考えることで、
自分の死を受容できるのでは。

看護の学生がよく「末期患者とどう向き合えばいいのか?」という質問をします。
その時私は
「患者さんとそれを取り巻く人たちが最期に『ありがとう』を言える環境作りを」と話します。
「有り難う」をお互いが言えたときに、死の理不尽さとお互いにわだかまっていた人生の出来事も許容出来る気がします。
(実際、祖父が亡くなったとき、可愛がっていた猫が死んだとき「有り難う」と言えたことが家族にとって救いになったという経験もあります)

「形見分け」は普通本人が亡くなってからすることが多いけれど、
「この人にこれをあげたい」と患者さんが思うのは、自分の想いを引き継いで欲しいという物語を紡げる。
物と人とに関わるストーリーです。

誰かに謝罪する、お礼を言う、直接言わなくても、手紙に託すでもいい。
これも、自分の人生のわだかまっていた出来事との妥協ですね。

自分のお葬式について、あれこれ注文を考える。
「自分が死んでいくこと」が自然に思えてくる。突然ではないような気がしてくる。

亡くなった後も、誰かと繋がっていたいと思う人は、お墓や位牌を残しておけばいい。
そうして、そこで誰かが自分に語りかけてくれると思える。

自然葬」という手段もある。
自分が自然の一部に戻って、その循環に組み込まれると考えれば、死=無と絶望しなくてもよいかもしれない。

実は私はもう何年も前に、自然葬の契約書を作って、最期の瞬間と葬儀で流して欲しい曲を集めてCDを作り、
自分の葬儀のプログラムを考え、生きている間は会えないけれど、実は「有り難う」「ごめんなさい」を言いたかった人々に手紙を書きました。
多分、これからまた書き直したりするのだと思いますが、何だか実際楽になったことが多いです。
自分の人生の出来事といろいろ「妥協」「和解」出来た気がします。すべてじゃないけど。実際死を実感しているわけではないけれど、今までこだわっていたことと向き合えた気がします。

◇「死は怖い」という患者さんには「何が怖い」のか尋ねてみる。
「苦しいのはイヤだ」という患者さんには、「痛みが始まる前に必ずお薬を投与する」と約束する。
ホスピスや緩和ケアに理解あるドクターのもとであれば可能ですし、痛みが始まる前に投与すれば薬量は少なくてすむそうです。
約束するだけで、患者さんはかなり心理的に安定し、いろいろ死への準備が出来るようになる。
「一人で死ぬのはイヤだ」という患者さんには「必ず私が傍にいます」と約束する。
もちろん100%実行できるわけではないが、約束するとやはり患者さんは安心できる。

◇「死んだらどうなるんだろう?」と質問されたら…
「私には死んだあとどうなるかわからないのですが、例えば、あの世があったとしてあなたが逢いたい人はいませんか?」と答えてみる。
どんな人と会って、何が言いたいか、それを語ることはその人の人生の物語である。

「唯物論者の皆さんに、是非分かっていただきたい」ということで、体外離脱のケースをいくつかお聞きしましたが、多分それを持ち出さなくても、ここまでの話でも十分なのではないか…と思うのですが、どうでしょう?特に、死後の世界が保証されなくてもいいような気が私はするのですが。

つまり、ターミナルの患者さんと死について語るとき、何も「前世」や「来世」を持ち出してストーリーをこちらが作らなくても、患者さんの側が自分で自分の物語を紡ぎ出すお手伝いができるのではないかと思います。こちら側が「あなたはこうです」と説明してしまうのではなく、患者さん自身に語ってもらうことが大事なのではと思います。

人生の辛さ、理不尽さ、そういったものと自分で和解してもらう
お仕着せのストーリーはご本人にも、残された方にもむしろ失礼になる気がします。
(少なくとも私は枕元でE原さんに霊視して、カウンセリングして欲しいとは思わないし、Eハラーの皆さんともお話ししたくない。誰に見守って欲しいかは自分で選ぶもん)

その他には…

日本の死にまつわる儀式は良くできているというお話し。
臨終、通夜、葬儀、初七日、四十九日、新盆、三回忌…三十三回忌というイベント、そして位牌や仏壇という装置。
何回も親戚縁者が集まって故人について語り合ったり、絆を作り出す。
位牌や仏壇やお墓は「早く死者のことは忘れなさい」ではなく、故人との新しい関係性を築き、悲嘆のプロセスを歩むことが出来る。

それらを取り入れて、例えば死期が近付いたところで、医療スタッフも友人も家族も集まり、パーティーを開く。
好きな曲をかけたり、好きな食べ物をとったりする。
患者さんが亡くなった後も、写真を中心にみんなでパーティーを開く。
以前、ストレスについてお話ししましたが、
・人間にとって一番大きなストレスは配偶者の死である(アメリカでも日本でもそうだった)。
・その結果、残された妻や夫は免疫機能が低下して、病気になりがちである。
・また、医療スタッフは真面目な人ほど患者の死を敗北と受け止め、バーンアウトしがちである。
という現象について触れました。
パーティーは、このような人たちの発症を防止するかもしれない。
こんな取り組みもあるそうです。

こういったお話しに興味を持った方々へ、本のご紹介。

死をみつめ、今を大切に生きる (単行本)
日野原 重明 (著), 遠藤 順子 (著), 宮家 準 (著), アルフォンス デーケン (著), 柏木 哲夫 (著), 高木 慶子 (著), カール ベッカー (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4393364643

私などガッチガチの唯物論者の頭で「自分の死=消滅」としか考えられないのですが、
宗教学者の宮家先生の考察、実際に終末期の患者さんと向き合っているシスターの高木さんのお話しは
大変わかりやすく、納得できるものでした。

死=消滅と考えた上で、それまでの間に何ができるかという考え方ですね。
自分の人生の出来事と和解し、自分なりの物語を紡ぎ出す。
それが今を大切に生きることに繋がるのだろうと思います。

というわけで、今回もなんかナガーイ記述になってしまいました。すみません。

次回7/30は、皆なぜそんなに「私の物語」「私の核」を探し求めなくてはいけなくなったのか、ということについて考えてみようかと思います。

しばらく暑さが続きそうです。
お互い夏バテしないようにボチボチいきましょうhappy01good

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6/18&7/2のご報告

D1000059 「かもすぞ~」

私の好きな『もやしもん』(石川雅之)第6巻をアマゾンに注文したら、ものすごいおっきな段ボールがやってきました(コミック本1冊なのに)。
中を開けるとまた段ボール
wobbly←これです
中には本と一緒に「A・オリゼー」
日本中で日本酒をかもし中。
主人公の農大生の肩によくのってます。
主人公は「菌」が肉眼でみえてしまうという能力の持ち主。
下宿に帰るとそこら中でたくさんの「菌」が「おかえり~」
と喋ったりします。

ちょっと変人な教授とか、教室制度とか、ゼミ生や院生の生活とか、なんか我々の大学時代をホーフツとさせてくれて懐かしいです。理系の大学では、まだこんな雰囲気が残ってるのかなぁ?前にも書きましたが、もはや「ゼミ」をやっていくのは大変。夜や休みの日にデータ入力しなさいなんて言おうものなら、入ゼミ希望者なんていなくなっちゃいます。私達にとってはごく普通の事だったんだけどなぁ~。

あ、勿論「菌」は肉眼で見えないし、こんな形してません。喋りません。
「ファンタジー」を一人で楽しんでるだけです。
誤解させること書いちゃったら「水からの伝言」になっちゃうよ~。
「ファンタジー」を「科学らしきもの」で語って人をだますのはやめましょう…。
*第4巻に「某番組で『もやしもん』のテーマのひとつはLOHASである…と言われてビックリしました。-これ、フィクションですから」という欄外記述が。
おとぎ話はおとぎ話として楽しむ能力に欠けているのだろうか…LOHAS好きな人々は。

●「スピリチュアリティ」や「癒し」はなぜ求められるか

次の講座で何やりたいですかぁ?とお聞きしたところ、
「スピリチュアル・ケア」「トランスパーソナル心理学」「トラウマ」「癒し」などのキーワード
があがりました。
これらはとても学問の成果としてお伝えできる力量が私にはないので、
つらつら日頃考えていることを述べながら、皆さんと語らうという形をとっております。

視点としては、どうしてこれらが今取り上げられ、興味を惹いているのか、
心理学やらその周辺の学問から考察してみようということです。

今回の参考文献
『<スピリチュアル>はなぜ流行るのか』磯村健太郎 PHP新書,2007
『スピリチュアリティの心理学-心の時代の学問を求めて』日本トランスパーソナル心理学/精神医学会 安藤 治・湯浅泰雄,せせらぎ出版,2007
『トラウマの臨床心理学』西澤哲,金剛出版,1999
『心理学化する社会-なぜトラウマと癒しが求められるのか』斎藤環,PHP,2003
『「個性」を煽られる子どもたち-親密圏の変容を考える』土井隆義,岩波ブックレット,2004
『現代社会とスピリチュアリティ』伊藤雅之,渓水社,平成15年

何か超越的な存在と自分がつながっている感覚…
自分は生かされている(主語は分からないからとりあえず受け身)…

こんな「感覚」私達の中にきっとどこかにあるのでしょう。

既存の宗教から、教祖とか組織とか儀式とか教義などの「しかけ」を取り去ってしまえば、
こんなものが「核」にはあるはず。
でも、既存の宗教は今機能していない(らしい)。
例えば、医学・看護の場では、ターミーナル・ケア(終末期医療)において、
『スピリチュアル・ケア』が実践されています。
以前は牧師さんや神父さんやお坊さんがやってきて
「浄土」や「あの世」や「神」について語れば良かったけれど、
今の私達には納得できない(らしい)。
「私の人生の意味」「私が消えていくこと」について納得したい。
こういうのを「スピリチュアルな痛み」として扱うのだそうです。

これらのお話し、カール・ベッカーさんにお聞きした内容については、次回の講座にてgood

「スピリチュアル」を求める流れについてたどってみましょう。
1960年代アメリカでは「カウンターカルチャー(対抗文化)」が盛んになりました。
近代が突き進んできた道はどこかおかしい…という異議申し立てでした。
個人レベルで「自己変容」や「霊性の覚醒」を目指し、これまでの宗教、近代科学、西洋文明を超える新しい意識段階を目指す運動群となり、1970年代には日本に「精神世界」というカテゴリーで紹介されるようになります。
しかし、あの「オウム事件」のイメージがつきまとうので「スピリチュアル」という言葉に
変わってきています。「ニューエイジ」の思想を受け継いでもいます。

近代まで私達は大きな物語を自分の中に持つことができました。

科学を手に入れた私達は技術で豊かな生活を手にすることが出来る。
明日はまた新しい便利なものが開発されて、楽が出来る。
努力をすれば、報われる。
自分も近代化に参加できる。
真面目にやっていれば、誰かが認めてくれる。
自分が親を思うのと同じように、自分の子どもも自分を思ってくれる。
自分の祖先達が築いてきたものをさらに発展させて子どもの手に渡すことが私の役割。

だから、自分の人生には意味がある。

ところが大きなうねりが止まってしまった今、
私達はこうした大きな物語を紡ぎ出すことが出来ません。

「ポスト・モダン」大きな物語が解体してしまった時代を生きている私達は、
どこかに自分の物語はないかと探しています。

私の物語を与えてくれるものは何?どこ?

社会が動かないところで「社会」を意識するのは難しい。
それに社会を説明してくれるものは今までにもあった。
既存の宗教かもしれないし、科学や学問かもしれない。
でも、気になるのは「私」。
「私」を説明するものがない。

「私はなぜ生まれたのか」「なぜ私は死ななければならないのか」
「今私が苦しんでいるのはなぜ」「なぜ私が病気にならなかればならなかったのか」
一般論じゃなくて、個別に答えて~。

動物行動学の日高敏隆さんは『動物と人間の世界認識』という本の中で

他の動物は「死」がわからない。
多分、あれ?最近アイツみかけないな?くらいの認識の中で生きている。
でも、人間は「死」を認識できてしまう。
そうしたら、自分がこの世から消えてしまうことに恐怖や不安を感じるようになる。
その時に「輪廻転生」の物語が必要になったのだろう。

というようなことを述べています。

多分、これまで私達はこの「自分が消えてしまうこと」にどう折り合いをつけるか
いろいろ自分なりに考え、
宗教を信じたり、神や仏を感じたり、魂の不滅という物語を作っていた。

でもそれらは完璧に「なんで私が?」について答えてくれない。

だから、いま「自分探し」「癒し」が一大市場になりつつある。
チェネリング、前世療法、透視カウンセリング、音と香りのリラクゼーション、オーラ写真、
波動、ホメオパシー、レイキ、タロット占い、オーラソーマ、スピリチュアルカウンセリング … などなど。
せっかく「科学への懐疑」から出発したのに、科学用語を多用するのはなぜなんだ?
という疑問がありますが。

インターネットに接するひとたちにとって、これはより
「誰かが私と繋がっている」「誰かが私のことを分かってくれている」
という感覚を得やすい世界なのだと思います。
インターネットの向こうの匿名の他者は、リアル社会の知っている人、
家族よりずっと親密性を築きやすい。
自分にとって都合の良い情報を取捨選択し、神秘性を失わないでいてくれる存在だから。
なぜみんな「ブログ」を発信したがるのか、旧世代にとってはとても不思議かもしれませんが、そういう他者を得やすいから、そのツールを使ってるんだと思います。
ここはブログとは名ばかりで全く「日記」になってません。

マーケットになるということは、それだけ儲けたい人たちが集まってくるわけで、
それなりにリスクは考えなくちゃいけないでしょうね。

世の中のずいぶん多くの人たちが「癒されたい」と思っている。
「癒す」の前には「傷」があるのでしょう。
何でそんなにみんな傷ついてるのか?という疑問もありますが。

心に付いた傷→「トラウマ」をうまく説明してくれるのは、
「精神分析」という特殊な治療技術です。
ある出来事がどうしてある人にとってトラウマになり、
同様の出来事が他の人にとってはトラウマにならないのか?

それはフロイトが「心的事実」として取り上げたから。
「心的現実」では、事実も幻想も等価に扱われます。

精神分析は、個別的で、事後的な物語を紡ぎ出します。
だから、「科学」に必要とされる「再現性」や「予見性」を備えていません。
よって、精神分析は「科学」ではないし、「学問」であるかさえ疑問視されています。

世の中では、なんか
心理学 = 臨床心理学  ≒ 精神分析
という誤解があるような気がします。

心理学って、ノーマルな一般人の心というシステム?を説明できないかな~
というところから始まっています。

別に困っている人、悩んでいる人を助けるためという使命感から始まっているわけではないのです。

ご期待に添えず、すみません(誰が誰に謝ってるのかよくわかりませんが)。

というわけで、次回は「心理学と精神医学ってなんなのか?」「セラピー文化」「自分探しで本当の私は見つかるのか」とか、そんなお話しを皆さんとする予定です。あくまで、予定。ベッカーさんに聞いた「スピリチュアル・ケア」についてもですね。

●宿題?のプリントをお渡ししました

次回、みなさんに「感想」をお聞きしたいので、よろしくお願いします。
別にこ難しく考えていただかなくて大丈夫です。
余計な情報無しの「感想」をお聞きして、そこからいろいろ考えていきたいと思います。

それでは、7/16(水)14時にお会いいたしましょう~。

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ご無沙汰しておりますf(^ー^;

気温が上がったりup下がったりdown、台風がやってきたりtyphoon、あんまり初夏のすがすがしさを感じられないうちに梅雨前線がひたひたと…sprinkle

大変ご無沙汰しております。

皆様、いかがお過ごしでしょうか???

私は、学会発表を無事終えて、夏休みの宿題をとにかく提出した後の小学生の気分ですwobbly

ジタバタしても仕方ないのですが(私の頭には限界があって、これ以上考察のしようがないweep)、いつものことながら、ギリギリまであっちのデータを取り出してみたり、こっちの文献をひっくり返してみたり、見苦しいことこの上ないです。ずーっとこれやってるのに、いまだこうですsadしかし、演壇に立っても、なぜか決して上がらないのが私の不思議なところ…sign02

というわけで、すっかりこちらのご報告もさぼっておりました。

●前回のご報告を簡単に…

『認知行動療法 べてる式。』というDVDで浦河べてるの家の活動をご紹介しました。

SSTでもあるし、自助グループでもあるし、生活療法でもあるし、認知行動療法でもある。

別にどのレッテルを貼っても良いのだと思います。

とにかく、自分の弱みを確認するところからはじめて、言語化できる環境作り、メンバー相互で情報を共有する。

自己を「外在化」するというのは、どんな精神療法・心理療法でも目指していることです。

べてるの家がすごいのは、ユーモアにできること。

自分を客観化・外在化しなれなければ、ユーモアは生まれません。

笑えるということは、それだけ自分の感情に埋没しないで、
外から眺められていると言うこと。
別に、べてるの家にいるから特別良くなるわけでも、
人格が成長するわけでもないんです。
「べてるに来れば病気が出る」っていうキャッチフレーズがあるくらいですから。

普通の世界でトラブルが起こるのは当たり前のこと。
まして、統合失調症の患者さんは、症状がストレスで出やすい。
でも、それをすべて医療スタッフが保護したり治療しちゃっていいのか?
人間はいつも「右肩上がり」の人生を送らなくちゃいけないのか?
病気を克服しなければいけないのか?

私達が「善意」のもとで人々に押しつけているイデオロギーみたいなものへの
ひとつのアンチテーゼのような気がするのです。

病気と闘う、成長を目指す…確かに「良いこと」なんだけれど、
これでかえって苦しんでいることが多いのではないかと思うんですよね。

皆さんは、どんな風に感じられたでしょうか?
是非、感想を聞かせて下さい。

さて、次回の話題ですが…

「癒し」と「スピリチュアリティ」はなぜ求められるのか

ということをお話ししようかと…。

特に皆さんに知識を伝達できるわけではないのですが、私が日頃から考えていることをつらつら述べてみようかと思っています。

「ヒーリング」「ニューエイジ」「スピリチュアリティ」「トラウマ」「PTSD」「心の闇」「多重人格」…『ブーム』とも言える現象を「考える」ことをしてみたいと思っています。

なんだか、世の中全体がとっても頼りない「心理学」「精神医学」に世界で起こっている現象の説明をすべてしてくれと言ってるんじゃないのか!!と思えてしまい、それはとてもおかしいぞと思っているのです。

「心理学って大切ですよね」
よく言われますが
「人のこころを考えることは大切ですよね」
で良いんじゃないかと。
「心理学」は別に直接「人の役に立つ」ことを目指しているわけでもなく、
そんなに沢山の成果を上げているわけでもありませんから。
「学問」は、世界の成り立ちを説明したいな~という動機から始まるけれど、
直接「技術」と結びつけられるわけではないので。

「科学技術」ってよく言われるけれど、「科学」と「技術」は別なんですよね。

臨床となるとこれがよくごっちゃになってしまうところがあると思います。

で、次回のご報告をここに書くかというと…多分しないと思います。

とってもナイーブな問題なので。逃げますcoldsweats01

ですので、興味がある方は、是非聴きに来てくださって、意見を言っていただけると
うれしいですheart04

次回は6月18日2時からですよね????
合ってるのかな????

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4/16のご報告

ぽかぽかsun…気温が20度を超えてきました。
ちゃんと春の盛りの句を作らないウチに初夏になってしまう、どうしよう~sad

さて、   鞦韆    これはなんと読むか知っている方、いらっしゃいますかぁ?

もちろん、私も俳句を作るようになるまで、全く知らない言葉でした。
「しゅうせん」と読むのだそうです。じつは、「ぶらんこ」のことなんですよ。

あの有名な漢詩「春夜」に

春宵一刻値千金
花有清香月有陰
  …
鞦韆院落夜沈沈

とあります。中国では優雅な春のお遊びだったのですね。

歳時記でも、「ぶらんこ」は春の季語になっています。
なぜか他にも子どもの遊びは春の季語が多い。
風車、風船、凧、シャボン玉も春の季語です。なぜかな?

鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし  三橋鷹女

という句が有名です。ぶらんこに愛…全く関係ないようでいて、なんとなく底の方で
繋がっていそうな…それが俳句の妙味。

春の空に向かって思いっきりブランコを漕いでみる。
気持ちよさそうです。泪も飛んでいきそうです。

●アサーショントレーニングの続きです
今回は「論理療法」の考え方からご紹介しました。

日本では「論理療法」と訳されていますが、元々は
Rational Emotive Behavior Therapy です。

私達は、Aという出来事があったら、Cという感情や行動が起こるのだ
と「直線的因果論」で考えがちですが、じつはなかにBという思考が入っていて、
思考が変われば、原因も結果も変わりますよ…という考え方です。

例えば…
失恋は誰にとっても辛いもの。
しかし「あの人を失ってしまったら私の人生はおしまいだ」という感情はどうでしょう。
本当にその人1人にこだわる必要有ります?本当に人生は終わっちゃうの?
失恋という原因が不幸という結果を必ずもたらすと考えるのはちょっと飛躍しすぎかも。

こういうBeliefをイラショナルビリーフといいます。

その反対の「ラショナルビリーフ」は事実に即し、論理的で飛躍のない、
自分を助ける考え方です。

「職場で自分は主任に嫌われている」
「だから、この職場にいるのは辛いから辞めるしかない」はイラショナルビリーフ。
「周りの人間は私を嫌っていない。1人に嫌われたとしても、辞める必要はない」
これがラショナルビリーフです。

さて、イラショナルビリーフのリストです。
当てはまるものはないですか?

1.大切だと思う人からはすべて愛されなければ。
→ 自分だって人をえり好みしてるでしょ?お互い様ですよ。自分で自分を愛せばいい。
「全ての人に愛されたい」という実現不可能な欲求、愛情欲求のイラショナルビリーフです

2.有能で必要と認められるためには、素晴らしい業績をずっと上げなくては。
→ いつも素晴らしくなくて良い。出来るときはやって、出来ないときはそのまま。
「素晴らしい業績を上げたい」という大きな願望で、失敗恐怖のイラショナルビリーフです

3.不正を犯した場合、その人は当然罰せられるべき。
→ 過ちを犯せば罰せられるのは当然だけど、そう杓子定規にいかないのが世の中。
  人間の行為は評価の対象になるが、人間の存在は評価のしようがないのです。
「あの人は悪い人」というレッテル貼り、非難のイラショナルビリーフです

4.人間は自分の思い通りにならないと絶望的になってしまうのは当然。
→ 絶望感は環境や相手の所為ではなく、自分のBeliefの具合。相手がいる以上、
  思い通りにならないのが当然。
論理が飛躍した欲求不満のイラショナルビリーフです

5.人生の悩みは環境によるもので、私の力ではどうしようもない。
→ 環境がとても困難でも克服した人は身近にいるはず。
憂うつのイラショナルビリーフです

6.危険なことが起こりそうなときは、不安になるのが当然。
→ 感情は自己決定できるので、これは不安な感情の責任を他に転嫁しています。
不安を感じたとしても、それをコントロールは出来ます。不安のイラショナルビリーフです。

7.人生の問題は達成するのが難しいからなるべく責任はとらない方がいい。
→ 人生の課題の解決策はすぐ見つからなくてもいいんです、タイミングがありますから。
「困難に立ち向かうより楽をしたい」という怠惰のイラショナルビリーフです

8.人に言われるように従って生きた方が結局いい。
→ 残念ながら、大人になると甘えていられないんです、人間は。
「永遠の赤ちゃん願望」であり、受け身の生き方のイラショナルビリーフです

9.過去の経験がずっと影響していて、今の私の人生を決めている。
→ 確かに、過去の経験は今の私達に「影響」していますが、「決定」までしてません。
「人間は過去の経験の奴隷で、今も手枷足枷を受けている」という生育歴への偏見のイラショナルビリーフです

10.人生の問題は正しい解決策があるはず。それを手に入れられないと大変だ。
→ 残念ながら心理学を含め人間科学は、確かな解決策も正解も提示できません。立ち向かう、チャレンジする、そしてリスクも負うことも覚悟することが人生には必要なんです。
「人生に明確な解決策があるはず」というのは願望に過ぎません。現実逃避のイラショナルビリーフです

11.「識者」や世間のビリーフは正しいから、疑問をもつ必要はない。
→ これまで何度も触れてきたように、「識者」も我々もステレオタイプなど偏見からすべて解き放たれているわけではありません。批判能力が必要です。
権威へのイラショナルビリーフです。

12.付き合いづらい人と共に生きるなんて、腹立たしいったらありゃしない。
→ 確かにどこにでも気に入らない人は出現します。でも、本当にその人全部が気にくわないというのは行きすぎた考え方では?
相手を自分好みに変えられない以上、自分のBeliefを変更するしかないです。欲求不満耐性のイラショナルビリーフです

自分になんか心当たりがあるなぁと思ったら、
よりラショナルな文章に実際に書き換えてみては?

人間が1人で生きられない以上、「よりよいコミュニケーション」が必要です。
アサーティブになっていくというのは、結局「言葉を磨く、相手に言葉が伝わる工夫」
をすることなんです、とのこと。

肯定的メッセージは、送り手受け手が「良い感じ」になれる言語行動
「誉める」「ユーモア」「挨拶」「感謝」「自慢話」などがそれです。
簡単にできているようで、実は苦手な人が多い。
例えば、
人を誉められても、自分が「誉められる」と居心地が悪くてつい否定しちゃう。
「自慢話」はするべきじゃないと思ってしまう。
こういう人は、もうちょっと「人生の棚卸し」してくださいね。

アメリカではイチローはとっても賞賛される。
「あの人に出来たのなら、もしかしたら私にも出来るかも。
そうした例を示してくれた人はとても素晴らしい」という考え方。
加算方式の自己評価です。
「自慢話はまずい」と思っちゃうのは、自分を減点法で評価しているから。
それはちょっと窮屈ではないですか?
他の人を誉められるなら、自分のこともちゃんと誉めてあげましょう。

否定的メッセージは、送り手も受けても気が重くなる言語活動。

「断る」
「相手を傷つけたらどうしよう」「後で関係がまずくなるかも」「二度と声をかけてくれなくなる」などなど、結構「断る」には勇気が必要で、難しいですね。
でも、「断る」のは自分で自分を守るために必要です。
断っても、自分が感じているほど相手は深刻にとらえていなかったり、
断ってあげることで、かえって相手がホッとしてることもありますよ。

「お願い」
人に仕事を任せられなくて、自分で抱え込んじゃう人、
「私がやるしかないんだ」と思いこんでる人いますね。
お願い下手で、甘えて良いときに甘えられないからでは?
時には自分の中に甘えを許すことも必要です。

「怒り」
私も接客業とかクレーム処理の仕事したことあります。
人の怒りに触れただけで、結構ダメージ受けますよね。
「怒る人の感情に対する責任まで背負い込まない」ことがポイントだといいます。
感情の基本原則は「自分の責任で相手に感じさせられたのではない」です。
怒りを感じているのも本人で怒ることを決めたのも本人です。
謝るべき時にはちゃんと謝るけれど、「自分の所為だ」と思う必要はないのです。
冷静に交渉する手もあったけれど、「怒る」ことにしたのは相手だから。
確かに「怒りたくて怒ってる人」に責任とれないです。
しかし、「怒り」を感じちゃいけないわけでなく、それは健康なものです。
自分が怒りを感じたときには、「Iメッセージ」で伝えましょう。「私はこうだから怒ってる」
「アナタが悪いから怒ってる」は相手を追い詰め責める「Youメッセージ」です。

「批判」
批判はお互いの成長になるし、理解を深めるために必要です。
それに強くなることも必要です。
批判が怖いのは、「批判」と「非難」をごっちゃにするから。
「批判」は事実に基づいているけれど
「非難」は自分の利益のため相手をやっつける意図を持っています。
人から批判されたら、まず心当たりのある事実に基づいた「批判」か
不当な「非難」か見極めましょう。
「非難」なら取り合う必要はありません。
それにのっかちゃうと、相手の「ゲーム」に取り込まれてしまいます。
「相手に気に入られるようにしなくては。人に嫌われないようにしなくては。」
というのは、よく人間の頭に浮かんでくる「自己批判」。
全ての人に気に入られるなんて、そりゃ無理ですというのが多分ラショナルビリーフ。

「批判をおくるときのポイント」を考えてみましょう。
1.一つの内容について、批判は1回、くどくど言わない。
2.事実、データを元にして批判を送る。
3.事実プラス自分の気持ちを添えてみる。
4.メンツをつぶさないよう、相手の自尊心を傷つけないよう配慮しましょう。
5.直接本人に伝え、陰では言わない。

私達は人生でいろいろな問題を解決して行かなくちゃいけません。
でも、こういう問題って「正解」もないし、解も一つではないですね。
カウンセリングの解も、一つではないです。
問題に、相手がいる場合は特に難しくなってきます。
相手が歩み寄ってくれるようなメッセージを送って折り合いをつけるには
どんな方法があるでしょう?

例えば、
今あなたは新幹線の指定席で旅を楽しもうとしています。
ところが、隣の人が携帯で大きな声でずっと話しています。
とてもじゃないけれど、このままでは楽しめそうにありません。

さて、どうしましょう。

ここでLADDERという方法のご紹介。

Look 自分の基本的人権、欲求、要求、感情を観察する。
 → 私はいらだっている。私には、ものを言う、表現する人権がある。
Arrange 相手に話すTPOを考える。
 → どのタイミングで話しかければいいか、どの状態なら聞いてくれそうか間をとる。
Define the problem situation 事実に即し、具体的にわかりやすく述べる。
 → 新幹線の中は携帯での通話はしないのが原則。
でも、隣の人は長時間大きな声で話している。それで私は旅を楽しめない。デッキで話すのが適当である。
Describe your feeling Iメッセージで自分の感情を述べる。
 → 私は旅を邪魔されたと感じてとても腹が立っている。
Express これまでの内容を短い簡潔な表現で「頼み」にする。
 → 私は、大きな声で旅が楽しめないので腹が立っている。デッキで使って貰えないか。
Reinforce 相手が自分の提案に意欲的に取り組んでくれるよう作戦を考える。
 → 相手の協力が得られた場合の利益、得られなかった場合の不利益を述べる。
「あのー、ちょっと今いいですか?伝えたいことがあります。私は今とても腹が立っているんですよ。アナタの大きな声が伝わってきてしまうので、落ち着いていられないんです。もし今話したいなら、デッキで話して貰えませんか?そうすれば、アナタは気兼ねなく話せるし、私も安心して旅が出来ます。協力して貰えないと、この場でトラブルになります。それはお互いにとって厄介ですよね。どうですか?」

多分、いきなり「うるさいっ!デッキで話せ!」と言うより(これは「Youメッセージ」)、
素直にデッキに行ってくれる確率は高くなるのでは? 

そこで「宿題」です。

あなたは中学3年生の娘の親です。娘の門限は午後10時とお互いに決めました。
ところが今月だけで3度破っています。今日も11時頃、悪びれた様子もなく帰宅…。

あなたなら、どうメッセージを送りますか?
是非1度チャレンジしてみて。紙に実際書いてみると、客観的になれますよ。

というわけで
私達が抱えている問題は、ちゃんと原因を突き止めてみることが必要な場合もあるし、
(それで自分自身を少しでも客観的に眺められるようになればしめたもの)
「悪者探し」に躍起になるのではなく、自分の考え方や行動を変更してみるのも手では…
と思うのです。

世の中には原因が突き止めようとしても無理なものだってあります。
どうしても「付き合って」いかければいけない課題もあります。

例えば、統合失調症の人たちが抱える「幻覚・妄想」。
いくら原因が何かを追究して苦しんでいても解決しない場合が多い。

『浦河べてるの家』では

「三度の飯よりミーティング」「安心してサボれる職場づくり」「自分でつけよう自分の病気」「幻聴から幻聴さんへ」「弱さの情報公開」「勝手に治すな自分の病気」「昇る人生から降りる人生へ」などをキャッチフレーズに自助活動、SSTなどを行っています。

先進的な取り組みとして、今では見学者が押し寄せ、町おこしになっています。

私も、北海道旅行に行ったときに見学に行きたかったけれど
ちょっと無理でしたweep

ここで行われているSST、「当事者研究」を認知行動療法としてとらえたDVDが出ています。次回は、皆さんと一緒にこれを見て、人生の問題への対処の仕方のヒントを考えてみようと思います。

●緊急ですが、皆さんにご相談したいこと…

6/4のこの会なのですが、
私にとってはどうしても「行きたい用事」ができてしまいました。
もしできたら、1回ずらしていただけないでしょうか?

5/21,6/4と続けて2回お休みになってしまうので心苦しいのですがcoldsweats02

ご検討下さいませdown

次の回5/7は2時から!自分に言い聞かせてますsweat01

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4/2のご報告

あっ              wobbly

という間にcherryblossomの季節は終わっちゃいました。

それにしても、毎日お天気も気温も変化が激しいですね。

油断していると、風邪を引きそうです。

さて、突然ですが

あなたの「お父さん」や「パートナー」を思い浮かべながら
次の項目を読んでください。

□近所で人当たりがよいが、家では無口だ
□夫が家事をするのは「手伝い」だと思う
□妻の予定や行動を良くチェックしている
□妻には、ついつらく当たってしまう
□妻の家事に、手は出さないけど口は出す
□妻のお出掛けにはよくついていく
□妻子を養ってきたとの自負がある

先日(4/9)の毎日新聞の夕刊に
  「ワシも族」予防 まずは食事の自立を
っていう特集記事が出ていたのでちょっとご紹介

4~5個=ワシも族の素質、十分です
6個以上=要注意!見捨てられるかも

だそうです。作ったのは、大阪大学大学院准教授(保健学)の石蔵文信氏。
循環器内科から、日本ではまだ珍しい男性更年期外来っていうところを
担当なさっているのだそう。

妻がどこに行くにも「ワシも」って付いて来ちゃう。
これがずっと前からいつも一緒にいるような関係なら妻もストレスとは感じないのだが、
定年までずっと仕事に忙しくて家庭に目を向けず、それが退職したら
趣味に生きようとと思っていたのに結局家で時間をもてあまし、
妻に目を向けるようになる。
妻にしたら、夫抜きの生活を楽しむことをもう覚えちゃったんだけど…
っていうことで、身も心も監視されてる感じで、身体症状が出て「夫在宅症候群」に。
一般的に男性より女性の方がストレスに強いとされている。
その女性を参らせてしまう「オレも族」はよっぽど強力なストレッサーか!?

例えば、こんなケースも
妻が帰ってくると、真っ暗な部屋に黙って座っている。
電気も付けず、お茶も飲まない。
カップ麺も作れなかったり、コンビニに買い物さえ行けない男性も。
奥さんは自分が1日家を空けたらひもじい思いをするんじゃないかと心配になる。
石橋氏はこう言ってます。
「子どものネグレクトじゃあるまいし、メタボ対策になるから放っておいたら?」

「家事を手伝う」っていうのも、結局家事は自分の仕事じゃない、という意識の表れ。

そーなのよ、この言い方腹立つのよ!
「サポートしていたつもり」とか言うけれど「シェアだろうが!」と思っちゃう。
私はアンタの部下じゃないっ。
と独りごちてる私でした(笑)

奥さんも家事から夫を遠ざけることでワシも族を作ってしまう面もあるので
自分の食事くらいなんとかできるようにしつけましょう。

ウチの母親も「お父さん、なんにも出来ないから大変」
とこぼすのですが、
「ひもじくなったら、何とかするでしょ、子どもじゃないんだから。
放っておけないアナタが悪い」
とかるーく言ってのけちゃう冷たい娘です。

お互い依存せず、いても気にならない関係がちょうどいいです、
一緒にいるのは初期の段階、子育てからにしましょう!
ということでした。

我が家の同居人みたいに、まったくパートナーに無関心
ってのも、実はストレスを感じさせたりもするわけですね。

パートナー同士が一緒に何でもできるなら、楽しいだろうな。
でも、それに至るまでは、お互いに努力の積み重ねが必要ってことですかね。

ま、人間関係に「理想の完全型」というのはないし、それぞれのパートナー同士
気持ちのいい関係を違った形で築けたらいいですね。

●アサーション・トレーニング

無理矢理な前振りですが

人間関係はとかくストレスを産み出します。
それなら、「疲れない人生」「気持ちの良いコミュニケーション」のヒントになるかも…
というわけで、『アサーション・トレーニング』についてお話ししました。

今回参考にしている本は
『セルフ アサーション トレーニング』
菅沼憲治 東京図書
です。

アサーショントレーニングで目指すのは
「疲れない人生を送る」「自分らしい人生を送る」「自分を大事にした人生を送る」
ことです。

人が「なんか生きづらい」と感じてしまうのは、
次の4つの課題に何か「積み残し」があるのかも…自己点検してみましょう。

C 対人葛藤への対処能力
 世の中は自分中心で回っていないのだから、ぶつかり合いがあって当たり前
 そのぶつかり合いをどう乗り越えていけるか
 自己洞察(自分を長所・短所でとらえるのではなく、強み・得意分野・可能性でとらえる)
 対人感受性(人への配慮やいたわり)
 リーダーシップ(人やグループに影響を及ぼすこと)
 問題解決(葛藤が生じたときの折り合いの付け方)
A 受容
 素の自分と素の相手の両方を認める
 お互いの存在を認め許し合える
 自己受容(自分をありのまま許すこと)
 他者受容(相手を許すこと)
 言行一致(単なる批評家に終わらない)
 自律性(自分の後ろ盾は自分しかいないという自覚を持つ)
R 権利主張
 私達は生まれながらに不可侵の権利を持っている
 自己決定(何事も自分で判断し、それに責任を持てること)
 他者尊重(相手にも自分と同じく自己決定の権利、責任をとる権利があることを認める)
 共同体感覚(相手の痛みを自分の痛みとして感じる能力)
 保護(自分や家族にふりかかった火の粉を払いのけられる危機管理能力)
D 自己開示
 必要に応じて自分をオープンに出来る
 自己信頼(自分の感覚や直感力をたよりに行動できる)
 感情表出(感じたことに罪悪感を感じたり抑圧するのではなく感じたまま表現する)
 対決(相手に矛盾や疑問を感じたら、指摘し確認する解決能力)
 親密さ(タテマエでなく本音の交流ができること)

この課題に点数を付けるのでも、他人と比較して劣等感をもつのでもなく
クリアできているところを確認し、何を課題にすればいいのか自分で考えてみましょう。

では
アサーティブな行動ってどういうものなんでしょう

それにはまず、非アサーティブ行動を考えてみましょう

「受け身的行動」
自分の欲求・感情・権利を後回しにして相手を優先させてしまう行動
一見「良い人」だけど…
「あなた任せ」「自己犠牲」「遠回し」「NOと言えない」がパターンになってませんか?
「どうぞ」と人に道を譲っても「なんでいつも私が譲るの?」と「自信のなさ」「復讐したい」
というような感情が湧いてきませんか?

「攻撃的行動」
自分の欲求や権利を優先させ、相手を後回しにしてしまう行動
「相手を支配しよう」「話を聴かない」「無視する」「悪口」がパターン化してませんか?
そうすることで、結局後で相手を傷つけてしまった罪悪感、仕返しされるのかという不安といった感情にがんじがらめになってませんか?

決して「怒っちゃいけない」と言っているわけではありません。
「怒りは健康な感情」です。
それをどう解決し、相手にうまく伝えるか…
アサーションは受け身でも攻撃でもない第三のコミュニケーションです。

アサーティブ行動とは
自分や他者の欲求・感情・基本的人権を必要以上に抑えることなく自己表現できる行動
です

アサーションの考え方の基礎は
1970年代以降、「認知モデル」による「思考」の重要性が認識されたことです。
私達は環境に直接反応しているのではなく「考える」ことで情報の取捨選択をしています。
ですから、思考を鍛えてよりよく生きましょう、という行動療法の一種です。

私達は他者を傷つけない限りにおいて次の3つの権利を持っていると考えます。
アサーション権
(1)自分自身である権利
 頑張り続けるのではなく、辛い自分を素直に自覚して、弱みを伝えること
(2)自分を表現する権利
 その弱みを言うか言わないかは自分で決められる
(3)以上の権利を行使するとき罪悪感・無力感を感じなくてよい権利
 弱みをみせても「愚痴ちゃった」「弱虫だな」と悩まず、そういう自分に誇りを持てる

そして、次のアサーション権宣言をすることができます。

1.誰も、自分の行動・思考・感情は自分で決めることが出来、しかも自分が起こしている
ものである。だから、その結果が自分に及ぼす影響について責任を持って良い。
2.誰も、自分の行いたいことは理由を言ったり、言い訳をしないで行って良い。
3.誰も、他人の状況や問題を解決するために、もしも協力したいと思えばすればよいし、

したくなければしなくて良い。
4.誰も、一度言ったからそれを変えていけないことはない。自分の気持ちが変わったら変えて良い。
5.誰も、間違いをしても良い。そして、そのことに責任をとって良い。
6.誰も「私は知りません」ということが出来る。
7.誰も、人の善意に応じる際に、自分独自の決断をして良い。
8.誰も、決断するに当たって論理的でなくても良い。
9.誰も「分かりません」ということが出来る。
10.誰も「私には関心がありません」ということが出来る。
11.誰もアサーティブになることを降りる権利がある。

私達は行動・思考・感情について「自分で決めて」います…とアサーションでは考えます。
それらは個人の「所有」するものではなく「使う」ものです。
「させられた・やらされた」という結果で行動や感情を考えないことです。

すべては自分の「主体性」が源。
「他者の所為で怒らされた」のではなく「私が怒ることにした」のです。
こう考えていくことで、「思考」を変えていけばもっと違う生き方ができるのでは?
と考えるわけです。

次回は、自分の本当の感情に気付き、自分の「ビリーフ」を点検し、「ほめる」「ユーモア」「挨拶」「感謝」「自慢話」といった肯定的メッセージをうまく使えるようにし、「断る」「お願い」「怒り」「批判」をどううまく伝えるか…といったことについてお話ししようと思います。

この後は、
「SSTとして認知療法をうまく活用しているグループについて」
「人はなぜヒーリングやスピリチュアルを求めるのか」
などについて考えようかなっと思ってます。

●蛇足ですが…

年末に奈良の薬師寺に行ってきたことはここで書きましたが、
久しぶりに薬師寺のお坊さんのトークを聞いてきました。

では、関西弁で読んでください。

薬師寺のご本尊は皆さん、ご存じのように薬師如来様です。
薬師如来様は人間の病、身体だけではなく心の病も面倒をみてくれはります。
いうなれば、ドクターですな。でも、ドクターだけでは面倒看きれません。
そやから、日勤の看護師さん、日光菩薩さんですな、夜勤の看護師さん、月光菩薩さんですな、2人を連れてはるわけです。

仏さんは蓮の花にのってはりますな。
「泥沼をくぐりて浄し蓮の花」という言葉があります。
人間は、仏さんのように悟らんでもええんです。
人間いうのは、泥沼、つまり煩悩と共に生きてるもんです。
「西遊記」知ってはりますな。
あれは、三蔵法師さんが3人の家来を連れて遠い国から有り難いお経をもたらしてくれはるお話しです。
あの3人は、実は人間の煩悩なんですわ。
孫悟空はいっつも怒ってます。つまり「怒り」です。
沙悟浄はいっつも世の中を斜めに見て「ええなぁ」と思ってる。「妬み」です。
猪八戒はいっつも食べること考えてますな。「むさぼる」すぐに自分が欲しいもんを手に入れたいということです。「貧」ですわ。
つまり、そんな煩悩をお供に旅をする、人生のことですわ。

さすがに薬師寺のお坊さんはお話しがうまいです。
修学旅行で西の京に行った方は、きっとこの話聞いてますよ。

私も、結局煩悩と共に生きるしかないし、悟ることは必要ないんじゃないかと思います。
こうしたら幸せになれる、ああしたら楽になれる…そんな単純な公式は存在しないんじゃないかな?

いろいろ悩んで、悩む力を持つこと、悩みを抱えられることこそ、人間の底力なんじゃないかな…と思ってるわけなんですけれどね。

ちなみに…私は奈良時代の日光・月光菩薩が大好きです。
で、このお2人は今東京に滞在中です。「国宝 薬師寺展」
薬師如来と離れるのは初めてだそう。
東京の薬師寺東京別院では、~もうひとつの薬師寺展~も開催中。
膝が治ったら、すぐに飛んでいく予定ですrun

●今後の予定

次回4月16日は3時開始です。
その次の回は、5月7日2時からです。
5月21日は会場の都合でお休みです。

もし間違ってたら、どなたか教えてくださーいdown

Fちゃんは、この間この会に来てくれた後、『初寝返り』をしたそうですhappy01
その現場に立ち会えるのは、お母さん、お父さんにとって感動的ですよねheart01
今頃どんな『初』を体験しているのかなぁfuji

あ、そうだ。
バイオレットさんの『フラワーデザイン展”歩”』の開催期日が迫ってきました。
4月18日(金)~20日(日)までですよ。
皆さん、お見逃しなくねっtulip

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お知らせ♪

4月2日と16日は開始時間が3時ですbell

お間違いの無いように…私が一番危ないですdanger

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3/19のご報告

突然ですが

「苺大福」が美味しい季節ですheart01
「温泉まんじゅう」、本当に卵のようにフンワカしていて美味しかったですheart01
「えびせんべい」も香ばしくって素敵でしたheart01

いつも、たくさんありがとうございま~すshine
温泉行ってらっしゃったのはどなたですか~?
いいですね~、温泉spaどこに行ってきたんですか?

そして、Yさん、おかえりなさい、久しぶりにお会いできて本当に嬉しかったですhappy01

Y子さん、Fちゃんデビューしてくださって、ありがとうございましたchick
新しい命は、それだけで周囲に幸せを与えてくれますねpresent
偉大な贈り物だなぁと思います。

お2人、いや3人ですね、またのご来会を心よりお待ちしておりますheart

精神療法・心理療法のご紹介を続けております。

●芸術療法

創作活動によって、言語だけでは表現されない心理面を創作物に投影してもらい、クライエントの創造性や自発性を高めていくことを目的としています。

何かを創作することで、イメージの中に抑圧した感情を解放し、そこに投影された自己の内面を客観的に眺め、治療者と共に問題点を洞察していきます。

セラピーでは、単に創作活動を行うだけでなく、それが終わった後に治療者と共に作品を眺め、感想を言い合ったり、創作の間何を感じたかを話したりする時間が大切です。

絵画、コラージュ、粘土、詩、写真、俳句、陶芸、音楽、舞踏などさまざまな表現活動を用いた芸術療法が開発されています。

なかなか、言語のやりとりだけではセッションが発展しないなぁ…と思ったときになど、こうした芸術療法を取り入れたりもします。
また、最初から芸術療法を前面に掲げて行う場合もあります。
個人でも集団でも行われます。

●作業療法

手工芸、木工、園芸作業、さまざまなリクレーションなど、身体を使う活動を行うことにより、生産的で社会的な活動に携わる意欲を回復させていくことを目的としています。
作業療法と言うときは、作業療法士がプログラムを担当します。
病棟やデイ・ケア施設などで、作業療法士がいろいろなプログラムを用意しています。
日常的な生活動作(身支度をする、町中を移動する、他者と会話するなど社会的な場面を設定して具体的にどうすればよいかトレーニングを行います)、家事や農作業、工作、刺繍などの手芸、スポーツ、カラオケなどいろいろなバリエーションがあります。
技能の向上ではなく、自発性や現実検討力の向上、社会に再び役割を自覚して参加していくことが目標です。

●箱庭療法

砂が敷いてある箱の中に、ミニチュアの玩具をならべていき、クライエントは自分なりの空間を構成します。
そこにはクライエントの内界が表現されています。
治療者は、統合性があるか、空間配置がどのようになされているか、テーマは何か、象徴的な意味があるかを解釈していきます。
解釈には、一般的にはユングの分析心理学が用いられます。
芸術療法的な意味合い、遊戯療法的な意味合いもあります。
幼い頃に触れた砂の感触によって退行を起こすと考えられます。
子ども向けに考えられましたが、成人にも用いられます。

●遊戯療法

言語での自己表現が難しく、治療意欲を持ってもらうことが難しい子どもには、
ごく普通に行っている遊びを思いっきりやってもらうという方法をとります。
遊戯室の中で、人形や楽器、スポーツ、ゲームなどをして、
治療者とのコミュニケーションをとるのです。
自分を見守る治療者との人間関係の中で、保護された時間や空間を体験してもらい、
自己表現することを促進していきます。
子どもは遊びの中に何らかの問題点の手がかりを示してくれます。
お母さんに対してカウンセリングする一方、
子どもにはその時間、遊戯療法を行ったりします。

●家族療法

精神科の外来で、医師が付き添ってきた家族に助言をしたり、家族全員で面接を行ったりするレベルから、システム論に基づく家族全体の変化を目指す本格的なものまで含めている場合が多いようです。
システム論というのは、精神症状や問題行動は、クライエント本人のみに原因があるのではなく、家族というシステムになにか機能不全があるからだと考えるのです。
精神的な症状、問題行動をしているクライエントは、ここでは「とりあえず患者と認識されている人」としてIP(Identified Patient)と呼ばれます。
IPを変化させるには、家族システム全体の変化が必要です。
家族は違うパーソナリティをもった集合体という以上の力を持ち、
それが何か不全な状態であってもシステムを維持するために大きな変化に抵抗しようとします。
問題の原因は直線的にではなく、円環的に考えます。
治療者は、家族の構成員がシステムの中でどのようなコミュニケーションを行っているかに注目し、システムの機能不全の解消を目指します。

●森田療法

日本の精神科医、森田正馬によって1920年に創始された、神経症に対する精神療法です。「あるがまま療法」とも呼ばれます。
心の葛藤に無理に立ち向かおうとせず、「あるがまま」を受け容れていくことで禅の悟りに近い心境に達するとも言われています。
人間は元々自然治癒力を持っており、それを発動化させることが大事だという考え方です。そのために、実際に臥褥期(食事排泄の他は一切の娯楽を禁じ、寝ているだけ)、軽作業期、重作業期、生活訓練期などの時間を過ごし、目的本位、行動本位に実行することを目的にしています。

皆さんはどのようなサイコセラピーに興味をもたれたでしょうか?

今回は「家族療法」のところで実際に事例をお話ししたこともあってか、皆さんの発言が多かったですね。

今回で、「エリザベートの会(心理学講座 上級編)第?期」を終了いたしました。

皆様、いろいろご協力ありがとうございましたdown

次回よりまた新たな会となります。よろしくお願いしますconfident

◎東京でも開花宣言が出されましたcherryblossom

いよいよ「花=桜」の季節です!

花衣ぬぐやまつはる紐いろ\  杉田久女

「花衣」はお花見に行くときの女性の晴れ着。
昔は「桜がさね」という襲の色目を指しましたが、元禄時代には、豪華な小袖をあつらえて、花見の幕に飾ったりしたのだそう。
今は花時に着る晴れ着ですが、自分で「花衣」だと思えばOKです。
着物だろうと洋服だろうと、本当に着ていようが着まいが構いません。

久女という人は、非常に逸話の多い人で、フランス留学帰りの洋画家と結婚し、
華やかな生活を夢見たようですが、結局夫は北九州の一教師に落ち着いてしまいました。久女のプライドにこの生活は合致しなかったようです。
俳句の世界に没頭し、ホトトギス同人となりますが、詳細は未だ明らかではありませんが、結局同人から外されています。おそらく、高浜虚子との関係が悪化したのでは?と思われるところがあります。


この句から皆さんどんな情景が浮かびますか?
何とも妖艶な女性の香りが強くしませんか?
私には情念のようなものさえ感じられます。
九州では昔、女性が俳句をやっていると、久女のように夫や家のことをほったらかしにして俳句ばかり書いているような女性は困る…と言われたのだそうです。
激しい女性だったのでしょう。
でも、なんとも艶やかで美しい句ですよねshine

で、私も「花衣」に挑戦punch

花衣女盛りの時吊す

久女に並べるのは、何ともおこがましいですが…いきなり「女盛り」なんて激しい言葉を持ってきてますが、実は次に種明かしがあります。
眺めているのは花衣ではなくて、自分自身の「時」です。
すぐに過去になってしまう自分の時間です。それを吊して眺めています。
この心境をどう読むかは、読み手次第…。
なんか、男性には好評だったのですが、女性にはどうなのかな?

そういえば…

立雛のあひだ離しておく日あり

という句を作っておくったとき
(俳句といっても、有季定型とか自由律とかいろいろな考え方があり、書き方もいろいろ。
私の場合、師匠の師匠の考え方で、フリガナなど一切つけず、説明も付けず句のみを師匠におくります)

舅である師匠は「立雛は倒れやすいので、女びなが男びなに倒れないように置いたのであろうか。しかし、もっと何か女性特有の感情がありそうな…」という評を返してくれました。

みなさーん、もし自分の家の玄関に立雛があっとしたら、女びなを男びなからビミョーに離しておきたくなる日、ありませんか~?
男性にはこれ、わからないのかなぁ?
多分、玄関で気付いたら、気をつけて部屋に入ったほうが良いと思う…。

みなさん、どうですか??????

●次回のテーマ

新しい会の第1回は「アサーション・トレーニング」を取り上げようと思います。
人を傷つけちゃいけない(自分がそれで傷つきたくない)とがんじがらめになっていると、
なかなか自分の考えを伝えられない。
「自己主張」というと、なにか日本ではイメージが悪いけれど、喧嘩じゃなく、うまくコミュニケーションをとれないものだろうか。
そういう方法について学んでみたいと思います。
コミュニケーション下手な学生達に、大学ではオリエンテーションに取り入れたりしています。

以降のテーマは、皆さんからの要望・意見をお聞きしながら決めていきたいと思います。

皆さんからのご意見募集中で~すmailtoお待ちしてま~すheart04 

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焼き菓子工房「うふ」のご紹介

new「うふ」のブログが始まりましたcake

私が皆様に時々お持ちする美味しいクッキーの製造元は

「焼き菓子工房 うふ」といいますheart02

この度、「ブログ」という形で、製品や製造過程などをお知らせすることになったそうです。

お菓子に興味がある方は、是非いってみてくださいねnote

私のお薦めは

one毎月変わる季節のコットンケーキ(ヨーグルト、ジェラート、薄味の生クリームと一緒に食するととても美味!)

two昔懐かしいドライフルーツが一杯のバターケーキ(日持ちも十分!)

three止められない!止まらない!のクッキーたち

です。道具や原料の紹介とかもありますbread

Let's Gorun

「焼菓子工房うふのお菓子な毎日」 http://blogs.dion.ne.jp/oeuf/

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