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ご報告

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某県境で私の友人によって

保護されたわんこです。

炎天下、首輪にリードの切れ端をつけたまま、

車を怖れず道路のど真ん中を歩いていたそうです。

警察に届けたそうですが、どちら側の県から来たのかわからず、飼い主さんからの捜索依頼はないようです。

保健所に一旦収容され、「引き取りたい」という方が現れて、友人はとても安心したのですが、急に「キャンセル」されてしまったそうです。こういうのに「キャンセル」ってあるのでしょうか?困りましたannoy

保健所から「明日処分」といわれて、引き取ってきたのだそうですが、
友人のウチはペット禁止のマンション…我が家もそうなんですが。
今、某所で息を潜めて暮らしています。

日陰の身ですcrying

写真からわかるように、おそらくテリアのミックスと思われます。
女の子です。成犬ですが、「お年寄り」というほどではありません。
とても元気で、足腰はしっかりしています。
とても人なつっこいです。
誰が来ても吠えませんし、2本足で伸び上がって前足で「ちょうだいちょうだい」をしてくれます。
体長は60cmくらいです。
人間を全く警戒しないので、おそらく可愛がられていたのでは…と思うのですが、
飼い主さんが見つからない…縦割り行政の弊害ってやつでしょうか。
朝夕のお散歩でトイレはすますよう躾けられているようです。
家の中でトイレはしません。

このまま、日陰の身では可哀想なので、

どなたかこの子を引き取っても良いという方、いらっしゃらないでしょうか~up

とお願いしていたわけですが…

おかげさまで無事面倒をみてくださる方がみつかりました
新しいお家で元気でね~shine

さて、このワンコに逢いにいったときのお話しです。
同居人も同行したのですが、普段から同居人は無表情・ノーリアクションの人です。
自分でも感情表出を忘れているようなところがあります。
ワンコを見た途端、私は「わー、可愛いねぇ~heart02」と大喜び。1オクターブ声が高くなるし、赤ちゃん言葉になります。
人間の赤ちゃんも、お母さん達が声を高くして、赤ちゃん言葉で話しかけると、非常に反応が良いわけです。
コミュニケーションが成立するんですね。
ワンコもシッポをブンブン振って、私に飛びついて、ペロペロなめてくれて、反応を返してくれます。
お互いに「好意」のコミュニケーションが成立するようです。
ところが、同居人に対しては、足下で靴の匂いは一応フンフン嗅いでみるのですが、
あとは「物」と同じリアクション、無視です。
おや、同居人は人間と認識されないのか?
そこで、ワンコの前に座らせてみました。
「お?人間?」って感じで、一応シッポを振ってみるのですが、すぐにシッポはダラーンと垂れてしまい、目をそらそうとするのです。
多分、「感情のサイン」がわからないので、とっても怖いし、困ってしまうのだと思います。
「動物介在療法」の文献を読んだとき、なぜ「動物が有効なのか?」という問いに、
「私達人類はまだ平原や森林の近くで暮らしていた頃、自分たちの身を守るために
まわりの動物の反応を絶えず気にしていたのだろう(視覚は優れていても、聴覚とか嗅覚などは苦手)。
まわりの動物が緊張すれば、自分たちにとっても危険と判断しただろうし、リラックスしていれば、自分たちも安心できると判断できたはず。
つまり、私達に身近な動物がリラックスしている様子を見ていれば、それは私達にとってもリラックスできる状態になる。
それが『癒し』になるのだろう」
というようなことが書かれていました。
犬は、ずいぶん前から私達人類の近くで暮らしてきました。
きっと、人間の感情を読んだり、人間にメッセージを伝えやすいのでしょう(進化の結果とか、人為的な操作とか)。
私達を癒してくれるワンコも、私達からの肯定的なメッセージを受け取れないと
その役割を果たせないらしい…という考察でした。
と共に、同居人を前にしたときの私の日頃の混乱ぶりも納得。わっかんねー。

●前回のご報告

長期間にわたり、「スピリチュアル・ビームおよび自分探しを考える」というようなテーマでお話しして参りました。ぐだぐだぐだ…自分でも迷路に入ってしまったような気分ですが。

えー、いろいろ本だのインターネット情報だの論文だの読んで考えてみましたが。

「スピリチュアル」の周辺には「近代化」を否定する様々な領域が集まってくるようです。
異議申し立てすることは素晴らしいと思うのですが、どうも単純二極化に走りすぎているような気がするのです。

科学・工業・近代農業・化学物質・西洋?医療・政府など
いろいろな分野に「不信感」があるということで、
一大movementになるのでしょう。(陰謀論もセットで付いてくるところをみるとよく分かる)

しかし、その「不信感」の源はなんなのでしょうか?
もちろん、不信を持たざるを得ないことをしでかしてきた人類の歴史を認めるとしても
その根拠の多くは、何となく「感覚」なのではないのでしょうか?

よく「自分の感覚が大切ですね」という表現を見かけるのですが、
個々の感覚はかなり不確かで、他者と共有しにくいです。
これについては、錯覚とか、社会的知覚とか、帰属過程の歪みとか、認知的不協和とか、
認知心理学の分野でお話ししてきました。
(今の世界に不信感があるというところでつながることは出来るみたいですが)

私達は絶えず「不安感」を抱えている存在です。
私達のような非力な動物にとって、世界は危険が一杯だったはずです(大昔)。
理性の部分で「今は安心」と思っていても「大脳辺縁系」あたりではまだ納得できていないかもしれない。
かえって、「安心じゃないよ」と言ってくれる存在があると安心なのではないか?と思ってしまいます。
じゃないと「安全じゃない、こんなに怖い」というメッセージに、多くの人が過剰に煽られる理由がわからない。

「科学」を元に考えようと私は皆さんにお話ししていますが、
科学を「100%信じている」というよりは、多分、科学という方法論が、
今のところ一番修正が効くからほぼ安心だ思っているわけです。
「反証可能性」をもっているところ。手続きやデータやプロセスが開示されているところ。
「スピリチュアルなものを求めるのは、人間の生来の傾向である」
と言い切ってしまうと、反証できない。
仮説として、そうなの?本当?と思って、いろいろ確かめて見るところ(自分の感覚だけではなくて)が科学の面白さだと思います。
「そういうものを認めないのは魂の次元が低い」と言ってしまうより
「それは本当?」と疑える方が、私にとっては住みやすい世界だと感じられます。

「きっとあるのでしょう」とは私だって思います。
宗教という文化装置は有効に働いてきたのですから。
ある部分「思考停止」にしても、利他的行動を促すことができるのだと思います。

しかし、今「スピリチュアル」なもの周辺が、本当にそういう役割を果たしているのか、
ちょっと疑問です。
あくまで「自分」の個別性が問題だから。

「科学」というと「目に見えないものしか信じられない」「心が狭い」と非難されがちですが、
多くの人間が検証してきたんだから「ほぼ」大丈夫という感覚が根底にあって、
結局これは適応的な「想像力」が働いているのでは?と思います。

一方、きっと何か隠されていることがあるに違いない、100%安全じゃないと信じられないというのは、
適応的な「想像力」とはいえないような気がします。
「不安の証拠」を見つけ出して、安心できるかと思ったら、
結局不安の種が増えているだけという結果なのでは?

「化学物質は怖い」というフレーズ、
その「化学物質」で我々は出来ているわけだし、
「化学物質」を新しく創り出すことで安全な生活を手に入れてきたわけだし、
今現在、規制と利益とギリギリのところで努力している技術者たちを一方的に非難してしまい、
これまでの私達の文化や文明という歴史も全否定というところで、本来の「想像力」を使っていない気がするのですが…?
時々「科学物質」という言葉をスピリチュアル関係の人の書き込みでみかけるのですが、
どんな物質なんだろう???

人間て、「安心」な世界に住めるようになると、かえって「不安」を確かめてしまうのかもしれないなぁ~というのは、まだ私の個人的な考察です。
「不安」は消えないが、ほぼ大丈夫と思えるところまで、考えたり、確かめてみたりして、
わからなければ pending とし、acting out しないでいられるか、
とにかく「行動」してしまうか…。

「ほぼ大丈夫」と思うか、「100%じゃないから不安」と思うか、ここが別れ道なのでしょうか。

心理学では、発達を「社会化」と「個性化」という2つの過程で考えます。
「個性」はあらかじめ金の鉱脈のように私達の中に眠っているわけではなくて、
「社会化」の過程の中で、他者と比較しながら自分自身に認識されます。
突然自分の内部に「発見」できるものではないのでは?

他人と比較すること、みんなと同じになることがネガティブに語られてしまう雰囲気がありますが、
人間は「社会化」されるべき存在だという前提で「家庭」も「学校」も「社会」も機能を担っているわけですよね。
「社会化」の過程を経ない「個性」は多分あり得ないと思います。
社会の中での自分を意識しないところでいくら「自分探し」をしても、
答えは見つけられないし、自分の感覚だけで根拠をみつけるのは難しいという問題点に行き当たるような気がします。
「セミナー」やら「セラピー」やら「カウンセラー」やらを求めてさまよってしまうのではないでしょうか。

「自分は 特別な only one」と思うのは、
社会の中で「自分はそんなに特別な人間ではないけれど、それでも私なりの人生を生きている」
と思えた結果ならいいと思うのですが、
最初から自分の感覚だけを頼って「特別なもの」と思いこもうとするのは苦しいだけじゃないかと…。

「科学」にも「理性」にも限界はあるのですが、
人間相手の臨床の現場(心でも体でも)なんかでは、
よく「困っている人がいるんだから何かしなきゃ」という人が必ずいるわけですが、
「いや、ちょっと立ち止まってみようよ。「出来る」と「やって良い」は違うでしょ」
とつい思ってしまう天の邪鬼な私です。
特に人間の心なんて何が起こってるのかよく分からないんだから、慎重にした方が良いと思うのですが。
(そんなやる気のない人の世話になりたくないと言われるんだろうな)

次回からは、「健康情報」なんかでよく目にする
「食べた・飲んだ・やった」→「治った・良くなった」→「効いた」
という「3た論法」は、実のところ危ういということを、皆さんと一緒にお勉強したいと思います。

『不思議現象-子どもの心と教育』 菊池聡・木下幸司編著 北大路書房

の 「八章 不思議現象と精神科臨床」を読んでみようと思います。

それと、巷に溢れる「アトピービジネス」でも「3た論法」が使われていることを実際の例で見てみましょう。

●次回9月5日は、みんなでランチ~restaurant

11時にお店に集合です、楽しみにしていますね。

暑い毎日が続きますが、皆さん、無事に乗り切ってお会いしましょうね。

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心と体」カテゴリの記事

コメント

的ハズレコメントかとも思いつつ・・。
コメントがゼロで寂しいから書くネ。

人間は想像力を持つ動物なので闇に恐怖を抱きますよね。
闇には何かが棲んでるかもしれない・・・
無限の闇空間があるかもしれない・・・
日常空間にポッカリと闇への通路が開いてるかもしれない・・・

オカルト思想はそんな点が出発点だったりしますよね。

日本人は日本独自の「畏れ・恐れ」文化を引き継いできていて
21世紀になってもそういう方面の発想はたっぷり残ってますね。

とりとめないですが、むかし読んで面白いと思った本をひとつ。
小松和彦 著「鬼がつくった国・日本」
光文社文庫で出てます。

投稿: ○○くん | 2008年8月21日 (木) 13時39分

○○くん

こんにちは、郡上の盆踊り、読ませていただきましたよん!
コメント、ありがとうございます。
気を遣っていただきましてcoldsweats01

そうだよね、私達はみんな小さい頃「お化け」も「オカルト」も大好きだった。
日本という国は「闇」の文化でもあると思います。
俳句を勉強しているとやたらに「闇」にこだわることがわかる。
「闇」を怖れる心…それは「想像力」のなせること。
「想像力」が発達することで「見えないもの」の存在を
「あるのかもしれない…」と思うんだよね。
ピアジェは子どもの「魔術的思考」について述べています。
私もオカルト大好き、メルヘン大好きです。
困るのは、それを「物語」「フィクション」として
楽しめない大人がいること。
メタ的想像力が欠如していることですね。
「あるかもしれない」が「仮説」であることを
認識しないで「あるに違いない」になっちゃうんだな。
『となりのトトロ』や『風の谷のナウシカ』を
「物語」じゃなくて現実のものに結びつけて
例えば、地球を汚染する人類への警鐘だ!とか
これは困るでしょう。
どっか発達が止まってると思うのであった。
どう?

投稿: シシィ | 2008年8月21日 (木) 23時17分

縄文時代から今までの間に、批判力を身につけてないとしたら
日本人としてというより、ホモサピエンスとしてはナサケナイの一言に尽きますワ。

たとえば安倍晴明が発揮したチカラは実在する、といった考え方を
検証することなしに受け入れるヒトばかりになったら
ガクガクブルブルもので怖いですな。

自分の耳で聞いた話を他者に伝える時にゃ
十中八九、大なり小なりネジ曲げてしまうのにね~。
おっと、話がややそれたけど
サラリーマンやってると、検証の必要もないくらい
明白な「ネジ曲げ実例」にたびたび遭遇するもんで。

投稿: ○○くん | 2008年8月26日 (火) 10時20分

○○くんへ

再びコメントありがとうございます。
人間て「陰謀論」好きだよね。
この世のどこかに悪意はあると思うことで安心できるのであろうか?
そりゃ、会社の中で社長や部長の滑稽な「陰謀」はあると思う。
でも、日本の医療全体が代替医療に圧力をかけて
秘密にされていることが沢山あるとか
911は自作自演だった説が国会で税金かけて質問されてるってどうよ?
あー、情けない。
まだ「UFO来たらどうするんだ」の答えを閣議にかけてるほうが
ほのぼの笑えるけれどな。
今日は高校生相手に「認知心理学」を講義して来ました。
錯視図形を見せて、自分の「体験」「感覚」が当てになん無いことを力説し、「体験談ばっかりのCM」に騙されんな!!
とぶってきたが、
その感想文に
「確かに、私って信じやすいなぁと反省した。でも霊が見えちゃう人って本当に見えるんですよね。困りますね」
『オーラの泉』なんて呪われてしまえ(笑)
だって…脱力。
「錯覚について説明してみよう!さて、問題です。
鉄1kgと綿1kgがここにあるとします。
さて、どっちが重いかな?」
高校生揃いも揃って
「綿!!!!!」
笑えません。
「んーーー、錯覚の話をしているんだね!もう1回考えてみようか???」
ほとんどの生徒の頭の上に{?????}が浮かんでいたことは言うまでもないsad

投稿: シシィ | 2008年8月27日 (水) 03時02分

雨続きの残暑でしたが、今日は久し振りの晴れ間となりました。

 「闇」のお話は興味深く、面白いです。
確かに、想像力のある人間にとって、暗闇は恐れを感じさせる空間になっていますね。

私が子供の頃、家のトイレが廊下の突き当たりにあり、夜中に行かざるをえなくなった時は、もう怖くて...何かおまじないを唱えながら、暗い中をダー!と駆け込んだのを思い出します。

 ちょっと話が逸れますが、何年か前に、車で大阪を日帰り往復したことがあります。悪天候が加わり、疲労困憊の帰りの車中で、「なに、これ..」という事が起こりました。
茅ヶ崎の海岸沿いの道を走っていて、井上陽水の歌番組を聴いていた時に、気がつくと波の音がしばらく続き、そのうち、
「うーー」という低いうなり声が聞こえてきました。
「なに、これ..」で、すぐチャンネルを替えましたが、気になり、翌日、同乗していた夫に「昨日の..聞いた?」と言ったら、「聞いた。」との返事。 気のせいにしようと思っても、二人が共に、はっきりと聞いた出来事。

よく聞く話を自分が体験しようとは、思ってもいませんでした。

遠藤周作さんが、「万華鏡」の中で、そういう不可解な話をいくつか載せていましたが、「あれは、いったい何だったんだ?」と思い返す時、科学では解明出来ない現象ってあるんではないか...と、ぼんやり思います。
怖がりやの私としては、「それは、脳のいたずらだ。」とか、言って欲しいのですが...

夏の終りのよもやま話でした。

投稿: スイトピー | 2008年8月27日 (水) 22時04分

スイトピー様

>波の音がしばらく続き、そのうち、
「うーー」という低いうなり声が聞こえてきました。
「なに、これ..」で、すぐチャンネルを替えましたが、気になり、翌日、同乗していた夫に「昨日の..聞いた?」と言ったら、「聞いた。」との返事。 気のせいにしようと思っても、二人が共に、はっきりと聞いた出来事。

いやいや、興味深いお話しです。
科学は森羅万象すべてを説明できるほど万能ではないです。
「偽」科学と「未」科学は違うので。
スイトピーさんの体験も、気象状況で電波にノイズが入ったところに、悪天候と疲労とで「不安」が喚起され、
お二人にとって何らかの「意味」を帯びた錯覚が起こった…とか
説明しようと思えばできるのですが、
それはそれで、お二人の「共通の体験」として意味のある物語なのではないかと思います。

人間が錯覚を起こすことはいろいろな実験で実証できるのですが、それがどのようなメカニズムで起こっているのか、まだほとんどは分かっていないんですよ。

人間は「感覚」が遮断された状況では(車の中で悪天候で窓を閉めたままだったりすると外部からの感覚刺激が入りにくくなる)、錯覚が比較的簡単に起こります。その錯覚は2人で同時に体験することもあります。
脳や心がその錯覚をどのように作り上げるのか迄は、まだ未解明。

わからないことを「何だろう?」と考えるのは楽しいですよね。

私もですね~、ある夜実家で寝ていたら、
頭は寝覚めつつあって、意識はあるのに、身体が動かないんです。おまけに、何やら生臭い風が鼻に吹いてくるんですよ。
おー、こんな私にもついに「金縛り」体験がやってきたのか、
と喜んだら、飼っていた猫が首のところで真っ直ぐに伸びて寝てましたf(^ー^;生臭かったのは、カリカリをつまみ食いしてきた猫の息でした。
「おまえのせいかっ」と突っ込みました。
「金縛り」体験も、まぁ、覚醒するときの脳波の状態で
ほぼ説明できますが、いちいちまわりの人に説明して回るもの疲れますので。

でも、「きっと死んだお祖父ちゃんが会いに来てくれたんだと思う」というようなお話しは、その人が紡ぎ出した物語だから大切にしないといけないですよね。
○原さんの「私にはあなたの守護霊が見えます」というコメントは不要。

家もろともに闇に入る秋の風 飯田龍太

こんな季節になってまいりましたね…コメント、ありがとうございました。

投稿: シシィ | 2008年8月28日 (木) 00時15分

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