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6/18&7/2のご報告

D1000059 「かもすぞ~」

私の好きな『もやしもん』(石川雅之)第6巻をアマゾンに注文したら、ものすごいおっきな段ボールがやってきました(コミック本1冊なのに)。
中を開けるとまた段ボール
wobbly←これです
中には本と一緒に「A・オリゼー」
日本中で日本酒をかもし中。
主人公の農大生の肩によくのってます。
主人公は「菌」が肉眼でみえてしまうという能力の持ち主。
下宿に帰るとそこら中でたくさんの「菌」が「おかえり~」
と喋ったりします。

ちょっと変人な教授とか、教室制度とか、ゼミ生や院生の生活とか、なんか我々の大学時代をホーフツとさせてくれて懐かしいです。理系の大学では、まだこんな雰囲気が残ってるのかなぁ?前にも書きましたが、もはや「ゼミ」をやっていくのは大変。夜や休みの日にデータ入力しなさいなんて言おうものなら、入ゼミ希望者なんていなくなっちゃいます。私達にとってはごく普通の事だったんだけどなぁ~。

あ、勿論「菌」は肉眼で見えないし、こんな形してません。喋りません。
「ファンタジー」を一人で楽しんでるだけです。
誤解させること書いちゃったら「水からの伝言」になっちゃうよ~。
「ファンタジー」を「科学らしきもの」で語って人をだますのはやめましょう…。
*第4巻に「某番組で『もやしもん』のテーマのひとつはLOHASである…と言われてビックリしました。-これ、フィクションですから」という欄外記述が。
おとぎ話はおとぎ話として楽しむ能力に欠けているのだろうか…LOHAS好きな人々は。

●「スピリチュアリティ」や「癒し」はなぜ求められるか

次の講座で何やりたいですかぁ?とお聞きしたところ、
「スピリチュアル・ケア」「トランスパーソナル心理学」「トラウマ」「癒し」などのキーワード
があがりました。
これらはとても学問の成果としてお伝えできる力量が私にはないので、
つらつら日頃考えていることを述べながら、皆さんと語らうという形をとっております。

視点としては、どうしてこれらが今取り上げられ、興味を惹いているのか、
心理学やらその周辺の学問から考察してみようということです。

今回の参考文献
『<スピリチュアル>はなぜ流行るのか』磯村健太郎 PHP新書,2007
『スピリチュアリティの心理学-心の時代の学問を求めて』日本トランスパーソナル心理学/精神医学会 安藤 治・湯浅泰雄,せせらぎ出版,2007
『トラウマの臨床心理学』西澤哲,金剛出版,1999
『心理学化する社会-なぜトラウマと癒しが求められるのか』斎藤環,PHP,2003
『「個性」を煽られる子どもたち-親密圏の変容を考える』土井隆義,岩波ブックレット,2004
『現代社会とスピリチュアリティ』伊藤雅之,渓水社,平成15年

何か超越的な存在と自分がつながっている感覚…
自分は生かされている(主語は分からないからとりあえず受け身)…

こんな「感覚」私達の中にきっとどこかにあるのでしょう。

既存の宗教から、教祖とか組織とか儀式とか教義などの「しかけ」を取り去ってしまえば、
こんなものが「核」にはあるはず。
でも、既存の宗教は今機能していない(らしい)。
例えば、医学・看護の場では、ターミーナル・ケア(終末期医療)において、
『スピリチュアル・ケア』が実践されています。
以前は牧師さんや神父さんやお坊さんがやってきて
「浄土」や「あの世」や「神」について語れば良かったけれど、
今の私達には納得できない(らしい)。
「私の人生の意味」「私が消えていくこと」について納得したい。
こういうのを「スピリチュアルな痛み」として扱うのだそうです。

これらのお話し、カール・ベッカーさんにお聞きした内容については、次回の講座にてgood

「スピリチュアル」を求める流れについてたどってみましょう。
1960年代アメリカでは「カウンターカルチャー(対抗文化)」が盛んになりました。
近代が突き進んできた道はどこかおかしい…という異議申し立てでした。
個人レベルで「自己変容」や「霊性の覚醒」を目指し、これまでの宗教、近代科学、西洋文明を超える新しい意識段階を目指す運動群となり、1970年代には日本に「精神世界」というカテゴリーで紹介されるようになります。
しかし、あの「オウム事件」のイメージがつきまとうので「スピリチュアル」という言葉に
変わってきています。「ニューエイジ」の思想を受け継いでもいます。

近代まで私達は大きな物語を自分の中に持つことができました。

科学を手に入れた私達は技術で豊かな生活を手にすることが出来る。
明日はまた新しい便利なものが開発されて、楽が出来る。
努力をすれば、報われる。
自分も近代化に参加できる。
真面目にやっていれば、誰かが認めてくれる。
自分が親を思うのと同じように、自分の子どもも自分を思ってくれる。
自分の祖先達が築いてきたものをさらに発展させて子どもの手に渡すことが私の役割。

だから、自分の人生には意味がある。

ところが大きなうねりが止まってしまった今、
私達はこうした大きな物語を紡ぎ出すことが出来ません。

「ポスト・モダン」大きな物語が解体してしまった時代を生きている私達は、
どこかに自分の物語はないかと探しています。

私の物語を与えてくれるものは何?どこ?

社会が動かないところで「社会」を意識するのは難しい。
それに社会を説明してくれるものは今までにもあった。
既存の宗教かもしれないし、科学や学問かもしれない。
でも、気になるのは「私」。
「私」を説明するものがない。

「私はなぜ生まれたのか」「なぜ私は死ななければならないのか」
「今私が苦しんでいるのはなぜ」「なぜ私が病気にならなかればならなかったのか」
一般論じゃなくて、個別に答えて~。

動物行動学の日高敏隆さんは『動物と人間の世界認識』という本の中で

他の動物は「死」がわからない。
多分、あれ?最近アイツみかけないな?くらいの認識の中で生きている。
でも、人間は「死」を認識できてしまう。
そうしたら、自分がこの世から消えてしまうことに恐怖や不安を感じるようになる。
その時に「輪廻転生」の物語が必要になったのだろう。

というようなことを述べています。

多分、これまで私達はこの「自分が消えてしまうこと」にどう折り合いをつけるか
いろいろ自分なりに考え、
宗教を信じたり、神や仏を感じたり、魂の不滅という物語を作っていた。

でもそれらは完璧に「なんで私が?」について答えてくれない。

だから、いま「自分探し」「癒し」が一大市場になりつつある。
チェネリング、前世療法、透視カウンセリング、音と香りのリラクゼーション、オーラ写真、
波動、ホメオパシー、レイキ、タロット占い、オーラソーマ、スピリチュアルカウンセリング … などなど。
せっかく「科学への懐疑」から出発したのに、科学用語を多用するのはなぜなんだ?
という疑問がありますが。

インターネットに接するひとたちにとって、これはより
「誰かが私と繋がっている」「誰かが私のことを分かってくれている」
という感覚を得やすい世界なのだと思います。
インターネットの向こうの匿名の他者は、リアル社会の知っている人、
家族よりずっと親密性を築きやすい。
自分にとって都合の良い情報を取捨選択し、神秘性を失わないでいてくれる存在だから。
なぜみんな「ブログ」を発信したがるのか、旧世代にとってはとても不思議かもしれませんが、そういう他者を得やすいから、そのツールを使ってるんだと思います。
ここはブログとは名ばかりで全く「日記」になってません。

マーケットになるということは、それだけ儲けたい人たちが集まってくるわけで、
それなりにリスクは考えなくちゃいけないでしょうね。

世の中のずいぶん多くの人たちが「癒されたい」と思っている。
「癒す」の前には「傷」があるのでしょう。
何でそんなにみんな傷ついてるのか?という疑問もありますが。

心に付いた傷→「トラウマ」をうまく説明してくれるのは、
「精神分析」という特殊な治療技術です。
ある出来事がどうしてある人にとってトラウマになり、
同様の出来事が他の人にとってはトラウマにならないのか?

それはフロイトが「心的事実」として取り上げたから。
「心的現実」では、事実も幻想も等価に扱われます。

精神分析は、個別的で、事後的な物語を紡ぎ出します。
だから、「科学」に必要とされる「再現性」や「予見性」を備えていません。
よって、精神分析は「科学」ではないし、「学問」であるかさえ疑問視されています。

世の中では、なんか
心理学 = 臨床心理学  ≒ 精神分析
という誤解があるような気がします。

心理学って、ノーマルな一般人の心というシステム?を説明できないかな~
というところから始まっています。

別に困っている人、悩んでいる人を助けるためという使命感から始まっているわけではないのです。

ご期待に添えず、すみません(誰が誰に謝ってるのかよくわかりませんが)。

というわけで、次回は「心理学と精神医学ってなんなのか?」「セラピー文化」「自分探しで本当の私は見つかるのか」とか、そんなお話しを皆さんとする予定です。あくまで、予定。ベッカーさんに聞いた「スピリチュアル・ケア」についてもですね。

●宿題?のプリントをお渡ししました

次回、みなさんに「感想」をお聞きしたいので、よろしくお願いします。
別にこ難しく考えていただかなくて大丈夫です。
余計な情報無しの「感想」をお聞きして、そこからいろいろ考えていきたいと思います。

それでは、7/16(水)14時にお会いいたしましょう~。

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心と体」カテゴリの記事

コメント

コメント1番乗り、失礼いたしますm(_ _)m

>インターネットの向こうの匿名の他者は、リアル社会の知っている人、
>家族よりずっと親密性を築きやすい。

「禿しく同意」です。
1995年あたりから、まるで「コミュニケーション可能範囲の壁が崩壊した」
とでも表現できそうな感じで
若年・中年層では、匿名でのコミュニケーションが生活の一部になってきてますよね。

(一方、そんなコミュニケーションなんて考えたこともない人も
まだまだいる所が面白かったりもしますが。)

共通の趣味とか悩みとか、相手が匿名であろうと
親密に語り合っている実例、掃いて捨てるほどありますネ。

投稿: ○○くん | 2008年7月 9日 (水) 17時00分

>○○くん

いらっしゃいませ。
「インターネット」に反応してくれました?
確かにね、これを使いこなせているか、こなせていないかで
ずいぶん「格差」が生まれつつあるようです。
「インターネット」の中での人間関係が成立するなんて
信じられない方も多いと思います。

しかし、ある善良なスピリチュアル実践者がとあるブログで
「私達は誰かと目に見えない何かでつながっているんですよね。ほら、ここでもこうしてあなたとつながっている…云々」
と発言されていたときはさすがに椅子を転げ落ちそうになりました。
多分、その「目に見えないもの」の種類は違うんじゃないか?
インターネットは「目に見えないもの」に入っちゃうのか?
こうした電波をスルーできるのも、インターネットの利点だけれど、リアル社会で出会っちゃったらどうしたらいいんだろう。

お勉強、進んでますか?
世の中で、「テキスト」ほど面白くない読み物はないですね。
精神福祉士シリーズも看護師シリーズも、
すべての科目が束になってかかってきますが、
よい著者って見かけませんweep
シリーズ本にされちゃうと、選択の余地が無いところが悲しいですよね。
私は学生に「テキストは使わないから重たい思いして持ってこなくて良いよ」と言っちゃうんですが。
「精神医学」に関しては、前のコメントに書かせていただいた著者の本が辞書代わりに大変よろしいですよ。
あ、郷土史シリーズもそのうち訪問させていただきますね。

投稿: シシィ | 2008年7月10日 (木) 21時46分

はじめましてsign03
『インターネットの向こうの世界』から登場bleah
僕は、うつ病!!先生のブログをいつも拝見させていただいています。

「誰かが私と繋がっている」
「誰かが私のことを分かってくれている」

確かにそんな感じがします。ネットを通じて共存共感しているネット世界が”癒しのスペース”のようにも思え、親密性がない他者と”つながる”ことで安心し、また刺激を求めているのかもしれないsweat02ただ、情報に飲まれる余り、酔っ払って意識がない状態かもしれませんwobbly

『人類共通の目的や核』があったらきっと、シラフ状態に戻れるのだろうなと感じますwobbly今は…”核”というものがない気がするので、皆ネット情報に飲まれ泥酔状態な気がしますsweat02外の現象界も闇で、自分の心の中も闇だと感じ、だから…
「私はなぜ生まれたのか」
「なぜ私は死ななければならないのか」「私という存在とは」
など思ってしまうのかと思います。考える事で、癒されているかもしれないし、逆に迷っているかもしれない。フラフラと宙に浮いている感じがする。生きている実感ってなんだろうって思う。


投稿: セッキー | 2008年7月10日 (木) 22時41分

>セッキーさん

シシィ先生の高校時代の同級生の「○○くん」です。
実を申せば、うつ病で通院中です。
「精神障害者保健福祉手帳」も持ってます。

通院が始まって4年越しになるのですが
2年前に会社内で起きたちょっとした事が原因で急悪化したというか
出社するのがカンペキに嫌になり、その時は6か月休職しました。

その後処方してもらった『ジプレキサ』が私の脳にマッチングしてくれたのか
楽天的な考え方を持てるようになり
禅宗の高僧じゃないですけど、時々『あるが儘なり』とつぶやいたりしています。

私は、人から期待を持たれない事に徹しようと思い始めてから
「生きてりゃ良いこともあるってもんよ」的なお気楽さを
得たような気がしてます。あまりレスになってなくてゴメンナサイ。

>シシィさん

ベンキョーは、とってもカメさん的ペースです。

高校の時に日本史の教科書とか、4~5ページ読んだら
その後は開きたくもなくなったアノ感覚を思い出してます。

・・養老孟司さんみたいな語り口の教科書が欲しいけど、
学生は無い物ネダリをしてはならぬのだよなぁ。

投稿: ○○くん | 2008年7月15日 (火) 16時54分

>セッキーさん

はじめまして。
こんなへんぴなブログを読んでくださっているなんて、
ちょっと驚きなんですが…。

「先生」なんて呼ばないでくださいね~。
ブログ(ブログじゃないんだけど)では肩書きは必要ないので、
好き勝手なことが言えたりします。

インターネットに接していると、皆さんがちゃんと
「共感」「傾聴」というテクニックを理解していらっしゃるように思えます。お互いに円環構造でカウンセリングしている感じ?
そして、姿が見えないだけに、その共感してくれる存在は
より重要な他者になっていくのかもしれないですね。

「うつ」については、今非常に悩ましいです。
ちょっと前までは割合わかりやすい病態であったものが、
今単純に「心の風邪ですよ」なんて言ってられない状態になっています。

単極性より、思っていたより双極性Ⅱ型が多そうで、
これには抗うつ剤ではダメらしいとか…。
現場のドクターも日々悩んでます。

ですが、本当に「うつ」であれば、最終的には元の状態に復するはずなんです。
お薬はそれをより早めてくれますが。

我々人類は、気がついたときからずっと
「我々はどこから来てどこにいくのか」
という問題の回答を求めてきたような気がします。

それがセッキーさんの求めていらっしゃる
「人類共通の目的や核」とイコールかどうかわかりませんが、
何しろみんなずっと悩んでいるのだろうという気がします。

私は究極の唯物論者でかちかちの科学頭なのですが(心理学をやったものは大抵「科学的」であることを徹底的にたたき込まれて育つので)、
最近参考のためにと思って手に持った本で気に入ったものをご紹介します。

『memento mori 死を見つめ、今を大切に生きる』
春秋社 日野原重明編

日本で「ターミナルケア」でのカウンセリングがどう行われているか調べてみようと思って買った本です。
この中で、宮宅準氏の「死の設計 日本人の新往生考」は、
911でテロ側の人間が来世での幸福を信じて死んでいったことと、テロに遭遇し、死=消滅と考えて、メッセージを残した人々のことを取り上げて考察しています。
宮家さんは元々修験道なんかを中心にした宗教学をやっていらっしゃった方ですが。
ここを読んでいて、どうも安っぽいスピリチュアルにはまらなくても、「死」と「生」の問題を考えることは可能であると
ちょっと安心しました。
「死」は避けられないけれどそれまでに「今をどうやって生きるか」ですね。
高木慶子さんという、シスターで実際に終末期の方と関わっている方のお話しもなかなか参考になりました。
どうやって自分の苦しみと妥協していくか、考えさせられます。
「悩む力」「考える力」はきっと役に立つと思うのです。
ただ、あまりに「閉じた空間」でやってしまうと、
苦しくなるだけかもしれないと思います。

なんのメッセージにもなっていませんが…すんません。

>○○くん

わざわざメッセージありがとうございます。

えてして「テキスト」は睡眠導入剤以上の威力を発揮するかも(冗談です)。

多分本当に世の中はどうにかなるんじゃないか…と私も思います。普段は他の方からみるととてもネガティブ思考で悲観論者に思えるらしいのですが。世の中を懐疑しつくすと、反転して「どうしようもないね。だから私に関してはどうにかしないとね」と思えるのも。

えーと、質問、
この間、名古屋あたりをうろついていて、
清洲城あとが名古屋のとっても近くにあると驚きました。
戦国時代、あの狭いところで何が起こっていたのでしょうか?
あのあたりに、才能を持った人間が同時代に存在したのは、
なにか地理が関係しているのでしょうか?
かねてよりの疑問でした…わけわかんない質問でしたshock

投稿: シシィ | 2008年7月16日 (水) 00時45分

「心理学のお部屋」で話題にするのもアレだから
マイブログに信長のことを書きますよ~~、

と午前中にコメントを入れておくはずが、
『送信』の所をクリックし忘れてました。
どのみち、講義直前のサプライズにはなっていたかも。

>みなさま
心理学と無関係で失礼しました。

投稿: ○○くん | 2008年7月16日 (水) 14時29分

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