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2007年11月

11/7のまとめ

こんにちは~。

急に冷え込んできましたね。でも、紅葉は全般的に遅れ気味らしい。
ちょっとだけ色づいてきた様子を季語では「薄紅葉」と表現します。
紅葉する木の中で、桜は早い時期に色づき始めますが、近くの桜の大樹は色づき始めたばかり…色づいた途端、落葉になってしまいます。
銀杏はまだまだ。まさに「薄紅葉」ですね。

朝夕冷え込むと、どうしても温度差に身体がついて行かなくなります。
皆さん、風邪に気をつけてくださいね。

義父から今年も秋薔薇が届きました~。
俳句だけじゃなくて、薔薇作りも玄人はだしなんですよ。

D1000043 ちょっとお花屋さんでも見かけないような大輪で、沢山の種類があるので様々な色彩を楽しむことが出来ます。

今、玄関に置いてあるのですが、扉を開ける度に薔薇の香りに包まれます。う~ん、素敵(*^_^*)。

ところが…マンションの部屋は暖かすぎる上、寒暖の差がないので、すぐに満開になってしまい、なかなか花をもたせることが出来ません。(・_・、)

どなたか、薔薇を長く持たせる方法をご存じの方がいらっしゃいましたら、ご伝授下さい。
毎年、春秋2回悩んでいます。

●『情報化社会と人間の攻撃性』について

  一昨日、私は実家で俳句を量産していました(下手だから数で勝負しないと)。するとそこに1本の電話…父親が「知らない番号だ」と怪訝な表情で電話をとり、私を呼び出しました。「○○ですが…」「え~、○○?」○○は高校時代の同級生の男の子(あ、もう男の子じゃないか)のあだ名です。なんでも、SNSで同期と巡り会い、話が盛り上がって「同窓会しよう」ということになり、卒業名簿をめくって電話をしまくっているとか。20ウン年ぶりの声の再会でした。たまたま私が実家にいたので巡り会えたわけですが、インターネットを使っていると、こんな出会いもあるのですね。私は結構過去を顧みないタイプ?で、全く大学や高校の「同窓会」に出たこともないし、名簿も更新してないんです。みんなからすれば行方不明の人間ですね。

今までだったらきっと人生で2度と巡り会わなかっただろう人間を結びつけるパソコン、インターネット、電話…様々なメディア畏るべし!!

前振りのネタみたいになってますが、ホントの話ですよ。

というわけで、私達の生活は様々なメディアによって多大な影響を受けている、というお話しから始まりました。そのメディアの代表がインターネットですね。

これによって、わたしたちの疑似環境現実環境に比して、飛躍的に拡大しています。
それによって様々な恩恵も受けているわけですが、「疑似環境」と「現実環境」の境界線が曖昧になってきていると感じます。疑似環境の中では、現実の自己から肥大した自己感が生まれやすいように思います。若者にとって「現実自我」と「理想自我」のギャップを埋める手っ取り早い手段ですね。

私達の世代だって、テレビに出てくる様々な漫画のキャラクターとかアイドルとか、一体化して高揚感を味わっていました。でも、テレビを家族全員で共有している間は、「ウルトラマンは想像の世界の出来事でしょ」「○○ちゃんは、あなたとは違う人種なんだから」などという冷めた親の反応によって、否応なく「現実自我」ってものを思い知らされ、その歪みを修整できたんですね、ある意味。ところが、今1人に1台のテレビ、個室にこもってテレビも見ないでパソコンやらゲームだけを相手にしていると、そういう肥大した「バーチャルリアリティ」の世界から脱却しにくくなっているようです。

匿名性が人間の攻撃性を促進させるというジンバルドーの研究を紹介しました。
実験室の中の結果をそのまま現実世界にあてはめるのは無理があると感じるかも知れませんが、条件を統制するにはどうしても実験という方法が必要になってきます。
任意で相手に電気ショックを与えて良いという状況では、誰がやったかわからない、顔を出さない条件の時、最も強い電気ショックを与えたという結果が報告されています。
匿名性の世界では、社会規範から逸脱しやすくなったり、自己監視の機能が低下したり、感情が直接的になったり、長期的な見通しが利かなくなったり、目の前の刺激への感受性が大きくなったりといった現象が認められるようです。

また、私達にとって一番攻撃性を高める要因は、対人関係のフラストレーション、つまり「侮辱された」という不満のようです。

その他にも、攻撃性を高める要因はあります。例えば、「生理的興奮」です。
運動などをして生理的に興奮しているとき、感情にそれが転移しますが、それは歓びになることもあり、攻撃性になることもあります。
各地に「喧嘩祭り」という行事があります。経験的に祭りの時には喧嘩が起こりやすいことが分かっていて、あえてそれを許したということなのでしょう。逆に言えば、「ハレの日」には攻撃性の抑制を解除しても良いが、その他の日にはしまっておきなさいと言う知恵なのではないかと思います。

人間の攻撃性は本能として備わったものなのでしょうか?
簡単に結論を出せる問題ではないでしょうが、生物的に考えて、自分の遺伝子を優位に残していく戦略の中では、「闘争」というものは避けて通れないようです。そのためには、「攻撃性」を備えていると考えた方が自然なのかも知れません。多くの動物で、自分の遺伝子を残していくための種内闘争や外敵に立ち向かう攻撃性が認められます。

普段私達はその攻撃性を抑制しているし、さまざまなものに置きかえて攻撃性を浄化しているようです。自らスポーツを楽しむのもそうだし、暴力シーンのある映画やテレビを見て楽しんでいるのもそうだと言えます。
暴力シーンを見ることや、攻撃的なゲームをすることが、攻撃性を促進させるのか、浄化作用として働くのか、それぞれ説はありますが、どちらか一方に決めるのは難しそうです。その時々、状況、個人的要因でどちらにでもなり得るのではないでしょうか。

電気ショックを与える装置の側にわざと武器を置いておくと、電気ショックを与える強さが増したという研究も紹介しました。感情が激したとき、そこに凶器があると攻撃的になってしまう…のかも知れません。殺人・傷害事件では、武器はあらかじめ用意し外から持ち込んだものなのか、たまたま現場にあったものなのか、詳しく追究されますが、計画的犯行なのか、直情的な犯行なのかでは全く量刑が違ってきます。凶器になるものが無ければ、やがて激しい感情は収まって犯行は行われなかった可能性があるということを、刑法の中で考慮しているということですかね。

というわけで、インターネットの世界で匿名性が得られると感じており、目の前にパソコンがあれば、人は攻撃性を発揮しやすい条件が揃っているということになります。そして、私達は経験的に人を怒らせるには、社会的地位やアイデンティティに関わることを「侮辱」という形で攻撃することが一番効果的だとわかっているようです。

こうして、インターネットの中では人を攻撃する書き込みがしばしば行われ、そのやりとりが加熱していってflamingという現象が起こります。

パソコンでは簡単にコピー&ペーストができてしまうため、他者の言質をすぐに取り上げられる、いわば「揚げ足取り」がしやすいという特性も関与しているようです。

様々なメディアによって私達は環境を拡大し、情報を得たり、その中で社会的拘束から離れ自由に発言することが出来ます。その一方で、まだ社会的ルールが確立されていないので、問題も起こりやすいということのようです。

興味のある方は『メディアと人間の発達』(坂元章編)、『インターネットにおける行動と心理』(A.N.ジョインソン著)などを参考になさってください。

あまりにメディアの成長が急激なので、心理学的な研究が追いついていないというのが現状で、実証的な研究より評論が中心といったところですね。

日本では、こうしたメディアに対する疑問というのを取り上げる割合が低いようです。テレビ番組、ゲーム、インターネット…これらを真正面から取り上げた研究は海外に比べると少ないようです。ゲームを世界に発信している国なのにね。何となく、知らないところで頭の良さそうな人が作ってくれた面白いもの、楽しいもの、便利なものはそのまま素直に受け入れてしまう…というか無批判?

私達がとりあえずできることは、規範の確立していないメディア、特にインターネットの世界では善意も悪意もどちらも働いて、色々な問題が起こってくることを覚悟すること、それに対して、単なる悪者探しをするのではなく、見通しを持って感情をコントロールしながら冷静な判断をしようと努めることかな?と考えています。

●宝塚の「卒業」

卒業シーズンでも無いけれど「卒業」について触れようと思います。

宝塚では劇団員である限り「生徒」です。退職=退団=卒業ということになります。
宝塚の卒業には様々な「儀式」があります。

退団公演千秋楽の1週間前になると、退団者の化粧前はすべて白一色になります。退団者の同期や親しい上級生・下級生たちは朝早く楽屋入りして、化粧前のカバーやら飾りやら楽屋で着ているローブやスリッパも全て白に変えてしまいます。本人がやってくると、綺麗に飾り付けられた白一色の自分の化粧前が待ちかまえているわけです。

ファンクラブの会服も白に変わります。

千秋楽当日、楽屋入りの時、退団者は白い私服を着て、ガードや一般ファンからの拍手に見送られ、組子達に迎えられます。トップの退団の時には、「お祭り」になります。どんな趣向で出迎えようか、組子達は脚本・演出を考えます。

これが見たいがために、ガードに入らないファンは徹夜してでも場所取りをしています。それくらい面白いんです。

真琴つばささんの時は、いつもなら楽屋入り口で車を降りるところを遠くで降りて、白の会服を着て歩いてやってきました。その時間前には、同期の組長・副組長がどこから調達してきたのか、旧式拡声器で『みなさーん、真琴のためによろしくお願いします。一斉に「マミチャン愛してる~」ってお願いします』などとファンに指示をしています。組子達は、マミチャンのトレードマークとも言える、ヒョウ柄の半被をおそろいで制作し、サングラスなんか掛けちゃって、なんかすごい格好で楽屋前の広場に勢揃い。さて、マミチャンがやってきた、となると、後継者である2番手男役や相方の娘役が中心になって、趣向を凝らした格好で楽屋を飛び出してきてトップやファンを驚かせてくれます。次のトップであったリカチャンこと紫吹淳が、笛を「ピー」とふいて号令を掛け、男役たちはヒョウ柄の長ーいマントをマミチャンにとりつけるとその両端を持ち、荷物を運ぶ台車にマミチャンを乗っけると、それで花の道を往復しました。マントの長さはおそらく10メートル以上あったような気がします。

リカチャンの笛の先導でマントを後ろに従えてファンの大歓声の中、花の道を行ったり来たり。楽屋口には、同期で花組のトップだった愛華みれちゃんも白の会服をしっかり着て、カメラとかビデオを片手に熱心に記念撮影中。千秋楽には退団した同期、在団中の同期がやってきて、さまざまなお世話をするのが習わしです。

今回、春野寿美礼さんの場合、みんな学ラン姿にサングラスで勢揃いだったそうです。真っ黒の学ランにサングラスをかけて胸を張って立っている彩音ちゃんはなかなか男前だったらしい。そして後継者のゆうくんこと真飛聖さんはどッピンクの学ラン…春野さんの好きな色だから?でしょうか。でも、それってどこから持ってきたんだろう?作ったのかな?

おっしゃれーなオープンカーでファンに手を振りながら現れたオサさん。真面目くさった顔でゆうくうと彩音ちゃんがやってきて、ゆうくんが恭しくドアを開けると、彩音ちゃんが男前に手をとってエスコート。いつもと立場が逆ですね。オサさんは思わず笑っていたようです。

白の会服のファンの「おくる言葉」が響いた後、最後の楽屋入りです。

トップの退団の時には、前楽と千秋楽に「サヨナラショー」が上演されます。想い出の場面の数々が舞台に蘇ります。このために、先生がちゃんと脚本・演出をして、本人の希望を聞きながらきちんとしたショーになるようにします。

千秋楽前になると、公演後に「サヨナラショーのお稽古」が入るようになり、ファンは否応なしにお別れの日が近付いて行くのを実感します。

その頃楽屋では、同期が早替わりの手伝いやら、着物の着付けやら、ビデオ撮影やら、忙しい本人のためにかいがいしく働いています。退団者は本当に目が回るほど忙しいんです。サヨナラショーでは何度も早替わりしているし、最後には紋付き袴に着替えるし。同じくトップであろうが、退団した一般人であろうが同期は同期。みんな白の会服を着て楽屋を走り回っています。同期の絆は強いです。

千秋楽の舞台では、退団者は同期達が用意してくれたコサージュをつけて、さりげなく舞台を務めていますが、客席はその退団者に盛大な拍手を送ります。

舞台が終わると、とうとう退団のご挨拶です。生徒の正装である黒紋付きの着物に緑の袴を短めに着け、白足袋・草履を履き、大階段の0番(真ん中)に立ちます。組長さんからプロフィールを紹介され、名前を呼ばれると、「ハイッ」と答えて大階段を降りてきます。

普通は0番は「スター」しか立てない特別な位置です。でも、退団の時にはみんな真ん中をスポットライトを一身にあびながらゆっくりと降りてきます。マイク前で深々と一礼すると、ご挨拶が始まります。それぞれに個性的ですが、みんな一様に清々しい表情です。やることはやったと満足して退団する生徒、新しい道を選んだ生徒、結婚を決めた生徒、道は様々ですが、みんな「宝塚にいられて幸せだった」という表情です。

同期と組からお花が渡されますが、それぞれに個性的なデザインになっています。

退団者本人が涙ぐむことは勿論ですが、それより後ろでライトを浴びていない同期達が大抵号泣してお化粧がぐちゃぐちゃになっています。

トップから後を託され、励ましや感謝の言葉をかけられる次期トップなんかは特に涙でぐっちゃぐちゃになっていることが多いです。それを見て、私達も一緒に泣いてしまうのですが。今回も、ゆうくんはお芝居の時から泣けてきてしまい大変だったらしく、相手役(本当は男役なんだれど、今回はゆうくんの恋人役で女性に変身しています)のみわっちこと愛音羽麗さんに舞台上で慰められていたみたいです。

何回もカーテンコールがあった後、香盤の下から順番に手には大きなお花、紋付き袴姿で外に出てきます。外には、ファンクラブ総出のガード、一般ファンが待ちかまえています。生徒監のオッチャン(とみんな呼んでますが、阪急電鉄の駅長さんを勤めあげた人が「生徒監督」という立場で一組に一人配置されて、生徒の面倒を見てくれています)などが付き添い、ゆっくりゆっくりファンに手を振りお辞儀をし、歩いていきます。

トップの場合には、白い花や風船で飾り付けられたゲートが会によって用意され、それをくぐって卒業していきます。

いつも思うのですが、生徒さんは卒業の瞬間、本当に清々しくて、最も美しくて、神々しくさえ見えます。不思議な感覚です。これまでの人生に満足し、周囲の人たちに心から感謝出来た瞬間の人間というのは、こんな感じなのだろうか…と思います。

 タカラジェンヌ真中を下りて卒業す

「卒業」は春の季語ですが、いつの季節も生徒の卒業は美しいです。

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