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3回目で~す♪(/゜)/ ̄ハィ♪

エリザベートの『心理学』のお部屋へようこそおいで下さいました。

こちらは,一般の方達(身体や心の治療家,社会人,お母さんたちなど)向けに行っているセミナーの内容をご案内したり,予告をしたり,私のつぶやきを書き込んでいくコーナーです。

そして,心理学,パーソナリティ,精神保健などに興味があるゲストに覗いていっていただければ…と思いますm(__)m

みなさーん,こ・ん・に・ち・は(*^。^*)

ムラから夜行バスで帰ってくると言う無謀なことをしちゃったシシィです。

さすがに,ちょっと今日は辛いし,眠いし…でも,お茶会がメチャクチャおかしくて,腹筋が疲れている割に,脳だけは興奮しています。K君,相変わらずおかしいです。黙っていればばれないのに,話し始めた途端,たちまち超天然ぼけです。

さて,無駄話はこれくらいにして…

5月16日「エリザベートの会」のご報告から。

今回は,「境界性パーソナリティ障害」について,概念的なこと,特徴などお話ししました。久々にフルメンバーで嬉しかったですねd(^-^)ネ!

☆境界性パーソナリティ障害

このタイプは「パーソナリティ障害」の概念の中核的なものです。この概念を中心にして,他のパーソナリティ障害が併存していることがままあります。

中心的な特徴は「不安定さ」と「極端なこと」です。

今のところ,理論的には,人生の早期に,「良いお母さん」と「悪いお母さん」を統合できず,自分の内界も,外界も極端に二分化してしまうのだ…という対象関係論からのアプローチが盛んです。

私達は,赤ちゃんだったころ泣けばすぐに「何か」が自分を気持ちよくしてくれると世界を知覚します。「良いお母さん」の始まりです。しかし,そのうちに,そのお母さんも絶対に自分の意のままになるわけではなく,自分にとって都合の悪いところも感じられるようになります。「悪いお母さん」です。母子の情緒的応答,再接近期の応対がうまくいけば,「悪いお母さん」も「良いお母さん」も結局は自分を愛してくれる一人のお母さんとして統合することが出来ます。

境界性パーソナリティ障害のひとたちは,この過程がうまくいかなかったのではないか,と考えられています。

ですから,自分と関わった人たちを「すごく良い人」と「すごく悪い人」と極端に分けてしまうのです。最初,自分と関わってくれた人には極端な「理想化」をして,親密な関係を求めます。しかし,残念ながら,他者というのはいつも自分のためにだけ存在してくれるわけではありません。たとえ今まで100回話しをきいてくれたとしても,たった1回「今日はごめんなさい,約束があるの」といった途端,たちまち「脱価値化」され「すごく悪い人」に転落してしまいます。この人たちにとって「中庸」であることはとても難しいようなのです。普通に共有されるコモン・センスの世界では,1回自分の都合で断ったからといって,そんなに怒られることはないだろう,相手は事情を察してくれるだろうと思いますが,そういう考え方はして貰えません。「なんてひどい人なんだ」と激しい攻撃に曝されてしまいます。

「不適切な怒り」もこのタイプの人たちの特徴です。

このタイプの人たちは,楽しむ能力が欠けているという指摘もあります。周囲から見れば,思いのままに生きているように見えても,いつも虚無感,何も楽しくないという感覚を味わっています。抑うつ感を訴えることが多いです。(抑うつ=うつ病というのは正しくありません。抑うつ感というのは,さまざまな疾患,障害,状態で現れます)

完全な自分を求めていて,それが少しでも欠けるとたちまちなんの価値もない自分にと自己評価も転落してしまいます。

自分のが生きている実感を得られず,そのために自己破壊的な行為(摂食障害,大量服薬,リストカット,性的関係への依存など)へと走ってしまうこともあります。だからといって,これらの行為を「死ぬ気なんか無いんだ」と放置しておくと,エスカレートしていって不幸な結果になることもあるので決めつけは厳禁です。

この人たちは,いつも不安定な世界の中で生きているのです。両極端な選択肢しかない世界で生きていくのは確かに「生きづらい」ことでしょう。

「見捨てられ不安」が強くて,相手に見捨てられないための努力を重ねます。しかし,その努力は余り適応的ではなく,むしろ相手を巻き込み,揺さぶり,破壊してしまうことが多いのです。今まで,なかなか安定した2者関係を味わったことがありません。だから,ますます優しくしてくれたり,同情してくれたり,話しを聞いてくれる人を呑み込もうとしてしまうのです。悲しい歴史を背負っています。

前回ちょっと触れた「エリザベート」について私が考えるところを書いてみます。

舞台の「エリザベート」は脚本家が明確に意図したのかどうか,それは分かりませんが,境界性パーソナリティ障害的な認知の世界を良く現していると思います。

ハンサムな皇帝フランツに見初められたことでエリザベートは彼を理想化します。でも,自分の意志が通らない状況を作り出す人たちは「下らない意地悪な人たち」と認知されます。ゾフィーさんは,確かに厳しい人ですが,皇妃になった以上,「国家と人民のために生きる」ことは当たり前の前提です。これが,エリザベートが入っていった世界のコモン・センスです。でも,エリザベートはそれに抗いました。自分の全面的な支持者とならなかったフランツは,たちまち「あなたは私を見殺しにするのね」「あなたは敵だわ」と,脱価値化されてしまいます。

やがて彼女は「完全な自分」を得るための熱狂的な努力を始めます。ダイエットなんていう概念が無かった時代に過酷な食事制限をし,当時としては珍しい器械体操をし「美しさ」を追求します(宮殿には今もエリザベートの体操の間が残っています)。今で言う摂食障害の範疇に入ると思われます。どんなに周囲がそれを誉めても,満足することはありませんでした。歯が黄ばみやすい体質だったらしく,それは生涯彼女のコンプレックスとなりました。残されている肖像画や写真で笑っているものは何一つ残されていません。髪の毛を手入れし,結い上げるためにお気に入りの美容師を雇い,1日の内に何時間も費やしました。それでも,自分を高く評価することが出来ず,黒い革の扇で顔を隠していることが多かったと言います。

一時は強大な勢力を誇ったハプスブルグの皇妃がほとんど公式行事に出ることもなく,ゾフィーから取り戻したはずの子どもたちを置いて,世界中を旅していたというのは,どう考えても「普通の」生き方ではありません。いくらフランツに愛されても,そこに安定した二者関係は築けなかったのでしょう。

エリザベートは実際に,乗馬をとても好んだようですが,それは「楽しむ」というより「スリルを味わう」ようなものだったといいます。ものすごいスピードで疾走し,落馬して失神したこともあったそうです。皇妃がそんな行動を取ること自体,自分の役割を放棄していたと言われても仕方なかったでしょう。

「義務を押しつけられたら出て行くわ」では,どんな世界でも通用しません。

トート(死)は,彼女につきまとっていた自己破壊衝動の象徴なのではないでしょうか。

彼女は周囲の人たちが思っていないほど「孤独」を感じ続けていました。

自分の家系から精神疾患を発症した人が多く出たことから,自分もそうなるのではないかという恐れを抱いていたのではないかと思われます。彼女はよく精神病院を訪問し,精神科医に説明を求めました。

皇太子ルドルフが自殺したとき,その嘆きは激しく,フランツは葬儀に出ることを止めました。それ以降,彼女はいつも黒い服ばかりを着るようになります。これもまた,よく考えると極端な反応です。

こんな風に思って舞台を見てみると新しい発見があるかも。

でも,こういう人たちは,私達にとってとてもドラマチックな生き様で感動を与えてくれます。

私達の誰もがどこかに,こういうボーダーライン的な心象があり,それに触れると感動するのだと思います。けっして,境界性パーソナリティは別世界の異常な人ではありません。「変わっていること」が価値を持つ現代において,その傾向はますます大きくなっていると言えます。

というわけで,来週は,色々な事例をあげて説明をしたいと思います。

次回の「エリザベートの会」は,

5月23日(水)藤沢市市民センターです。

いつもと場所が違うそうです。私が一番迷子になりそうですが,気をつけます。

それでは,皆さんの目で見た,感じたエリザベート像はどんなものだったか,書き込みをお願いします。

お待ちしていまーす。

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湘南台の近くでは,身体や心の治療家で,「心理学」をちゃんと学んでみたいという方々向けのセミナーの講師を務めています。

辻堂駅近くの健療施術院というところです。

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スタッフの方は,みんな元気で気持ちがいい方達ばかりです。一生懸命私の講義を聴いて下さって,心の問題にも真剣に取り組んでいらっしゃいます。

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※お知らせ

健療施術院での次回セミナーは,6月21日(木)2時からです。

テーマは「パーソナリティの能力的側面」

人間の知性は,どうやって生まれてきたのか?心理学的に人間の能力はどうやって評価するのか?「頭がいい」ってどういうこと?言葉と能力の関係は?人間的な能力の基礎は何か?などなど,お話しする予定です。

前回は,「パーソナリティの環境的側面」についてお話ししましたが,とっても懐かしいお顔が2人見られて,とても嬉しかったです\(^O^)/ありがとうございました!

☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜

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コメント

う~む、コメントにテーマを投じられるとは・・・
さすがでございます(^-^;)

私の見た・感じたエリザベートは、「頑なに自分の世界に生き続けた麗人」」です。

本来担うべき役割を越えた「私が・・・」の世界を貫いてしまった彼女の生き方は、平凡な私には、とても魅力的です。
しかし、失うものの大きさに気づくことのできない世界に生きつづけた彼女の罪は、生涯消せないものになってしまった・・・。

思いの通りに生きられないとする彼女の「嘆き」は、つらい現実を取り払ってくれる「黄泉の帝王」の存在に時折触れることでまた、現実へと戻って来れる。
二つの世界を揺れ動く不安定感が、エリザベートの行動に現れていたのでしょうか。
そのスリルをお芝居では、感じました。
(よく,考え出したと感心しちゃいました)

それにしても、人格障害からエリザベートへと、
「宝塚への誘い」は、お見事なのでした(≧▽≦)ノ

投稿: まりあ | 2007年5月21日 (月) 11時20分

日常の中で、自分らしく・・・う~ん。

家族があればまず、家族が先にとなっている毎日、ちょっとの隙間をみて、自分の時間を・・・。
でも、そんな中でも人が与えてくれる「張り合い・やり甲斐」と言うものを大切に思います。

エリザベートのように「私は私だけのもの」言いたい時もあるけど、言えないかな~?

エリザベートの舞台は、現実を忘れ見れるから感動するのかと、思いきやシシィのお言葉『私達にもボーダーライン的な心象があり~感動する』
納得して、観させていただきます。

投稿: オスカー | 2007年5月22日 (火) 13時50分

「エリザベート」を最初に見た時は、理想とは違う境遇におかれて「可愛そうな女性」というイメージがありました。
でも、孤独な状態を創ってしまったのは周囲の環境だけでなく、結局エリザベート本人でもあります。

自分を追い込まず、もっと周りに心を開いていけたらもう少し幸せに生きられたのではと思います。

でもそうだったらこれほど名前は残らなかったですね、きっと。

投稿: プレママ | 2007年5月23日 (水) 12時22分

遅くなりましたが、『エリザベート』について・・・

私は、強い女性・・・とも感じて観てました。
絶望しながらも死を選ばずに
「私だけに・・・」とどんな状況でも思いのままに
生きていくところ、とか・・(でも本人はそうは
思っていないのですね・・・)
過酷なダイエットにしても意思の強さのようにも
感じていました。

でも決して自分自身を認めず、満足できず、
納得指数がどれだけ高かったのか・・・

境界性パーソナリティーを学び
また舞台の見所が増えました。

投稿: バイオレット | 2007年5月25日 (金) 01時57分

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